MF

西山哲平の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第435回】

高校中退後、ブラジル留学を経てベルマーレで活躍した西山哲平。

右サイドを主戦場にキレのあるドリブルを武器に活躍した。

大分トリニータではウルトラセブンというニックネームでサポーターに親しまれ、ユーティリティープレーヤーとして活躍。

ベテランとして2008年のナビスコカップ制覇の立役者となった。

西山哲平のJリーグ入り前


西山は1975年に千葉県柏市に生まれた。

柏市立西原中学校サッカー部で活躍後、専修大学松戸高等学校に進学。

しかし高校を中退し、ブラジルに留学。クリシューマECでサッカーを学んだ。

18歳の時に帰国し、フジタ(藤和不動産サッカー部現 湘南ベルマーレ)のテストを受け、練習生として入団し、後にプロ契約を結んだ。

入団した年、西山に出場機会はなかったが、フジタはJFLで優勝し、翌年のJリーグ昇格を果たした。

西山哲平のJリーグ後

1994年6月15日サントリーシリーズ第22節ヴェルディ川崎戦でJリーグ初出場を果たす。
アウミールと2トップを組み、前線の起点となるも試合は0-3で敗れた。
同年9月3日NICOSシリーズ第7節ガンバ大阪戦で、ベッチーニョと交代で出場するとJリーグ初得点をマークした。

1995年は開幕戦ヴェルディ川崎戦で途中出場。延長でも決着がつかず、PK戦に突入。
5人ずつ蹴っても勝敗はつかなかったが西山が9人目のキッカーとして登場するが外してしまい、試合に敗れた。

この年は大きく出場機会を伸ばしリーグ戦25試合に出場。
野口幸司と2トップを組み、ベッチーニョや中田英寿からのパスに反応して得意のドリブルで得点に絡む機会が多かった。

1997年は途中出場が多いながらも、ベッチーニョが抜けた穴を埋める活躍を見せリーグ戦16試合に出場。

2000年にはJ2モンテデオ山形へ完全移籍。

2001年には柱谷幸一監督のもとで背番号10を背負い、攻撃の中心として活躍。
リーグ戦41試合に出場し5ゴールをマークした。

2002年にはJ2大分トリニータへ移籍。
この年の大分はシーズン序盤から首位を独走し、J2優勝とJ1昇格を果たした。
西山自身はトップ下や右サイドで起用される機会が多かった。
持ち味であるスピードに乗ったドリブルで中央に切り返してのミドルシュートは脅威であり、リーグ戦40試合で4ゴールをマークした。

2003年には右足脛腓骨骨折という大怪我を負い、8か月のリハビリ生活を送ることになったが、2004年に復帰した。

2005年にブラジル人のシャムスカが監督に就任すると、ベテランとしてチームを牽引。
ブラジル留学時代に覚えたポルトガル語を駆使して、監督やウェズレイなどのブラジル人選手との橋渡し役としても活躍した。

2008年には大分のナビスコカップ制覇に貢献。
途中出場が多かったが、試合終盤に投入されると試合を締める役回りとして重宝された。

しかし2009年は苦戦を強いられ、17位に沈みJ2に降格。
西山自身もリーグ戦6試合の出場に留まると、この年限りで35歳で現役を引退した。

西山哲平の引退後と現在

西山は引退後、大分トリニータのフロントに入る。

強化部を経て、2020年には大分トリニータのGMに就任している。

選手一覧