広い視野とパスセンスを持った司令塔、狩野健太。
幼い頃から天才と称され、静岡学園時代には「10年に1人の逸材」と呼ばれた。
司令塔のポジションで巧みにゲームをコントロールし、繊細な右足でのキックで多くのチャンスを演出した。
プレースキックも魅力的であり、リーグ屈指の正確さをもつ。
狩野健太のJリーグ入り前
静岡市立麻機小学校1年生の時にサッカーを始め、その非凡なサッカーセンスは当時から注目を集めた。
強豪である東海第一中学校に進学後、サッカー部の所属。
同学年に井上渉(名古屋グランパス)、1学年下に碓井健平(清水エスパルス)がいる。
中学3年次に背番号10を背負い、司令塔としてチームを牽引。
高円宮杯(U-15)に東海地区代表として出場し、準優勝を果たした。
同年にはU-15日本代表に選出された。
中学卒業後、静岡学園へ進学。
1学年上に山本海人(清水エスパルス)、小林祐三(柏レイソル)、横山拓也(浦和レッズ)、同学年に中村友亮(ヴィッセル神戸)、1学年下に杉山力裕(川崎フロンターレ)、山本真希(清水エスパルス)がいる。
狩野は1年次から出場機会を得る。
1年次に出場した選手権では1回戦で中原貴之のいる多々良学園と対戦。
後半に強烈なミドルシュートで先制点を挙げるも、その後に追いつかれてPK戦の末に敗れた。
これが狩野にとって最初で最後の選手権となったが、鮮やかなゴールを決めたことで全国的に注目を集めるようになった。
2年次には背番号10を背負い、ゲームメイクを担う。
全日本ユースサッカー選手権大会では決勝で市立船橋に敗れるも準優勝を果たした。
同年にU18日本代表に飛び級で同学年の家長昭博、高萩洋次郎とともに選出され、韓国遠征に参加した。
高校2年次から静岡県選抜に選出され、国体に出場。
チームでは背番号10を背負い絶対的な司令塔として全国優勝に貢献した。
この活躍を受け、Jリーグ10チームからオファーを受ける。
その中でも黄金期を迎えておりJリーグ2連覇をしていた横浜Fマリノスへ入団する。
同期入団に飯倉大樹、天野貴史、田中裕介がいる。
狩野健太のJリーグ入り後
入団1年目の2005年4月24日第7節大宮アルディージャ戦でベンチ入りを果たすと、後半36分に中西永輔と交代で初出場を果たした。
当時のマリノスの中盤には上野良治、奥大介、大橋正博、山瀬功治などがいたため、高卒1年目の狩野はリーグ戦1試合の出場に留まった。
2年目の4月15日第8節ガンバ大阪戦では平野孝と交代で出場するとJリーグ初ゴールをマーク。
ヤマザキナビスコカップのFC東京戦でもゴールを決めるなど活躍し、この年はリーグ戦13試合に出場した。
2007年、2008年と選手の入れ替えが激しい中でもコンスタントに出場機会を得る。
2008年は骨折やじん帯損傷など度重なる故障に悩まされる。しかし終盤はスタメンとして出場する機会が増え、リーグ戦3ゴールをマーク。
2009年、木村浩吉が監督に就任すると司令塔のポジションで開幕戦のサンフレッチェ広島戦からスタメン出場。
広い視野から繰り出されるテクニカルなパスで攻撃を牽引し、リーグ戦28試合で4ゴールをマーク。
2010年には中村俊輔がマリノスに復帰。
出場機会が減少し、シーズン終盤には人生初となる肉離れで戦線を離脱するなど不本意なシーズンとなった。
2011年、2012年は左ハーフの兵藤慎剛の控えに回ることが多く出場機会は限られ、2012年シーズン終了後にマリノスを退団。
2013年は、高校時代に練習生として参加した事のある柏レイソルへ移籍。
加入1年目はリー戦18試合に出場。
卓越した技術はチーム1と言われながらも、度重なる負傷で出場機会は多くなく、2015年はリーグ戦3試合の出場に留まり、この年で柏を退団した。
2016年は川崎フロンターレへ移籍。
風間八宏監督のもとで再起が期待されるも、かねてより負傷していた右足首の状態が芳しくなく、リーグ戦5試合の出場に終わる。
2017年は右足首の手術を受けた影響もあり、リーグ戦2試合の出場に留まった。
2018年はJ2徳島ヴォルティスへ移籍。
途中出場が多かったが、中盤でためを作れるパサーとしての役割を忠実にこなし、徳島の攻撃のアクセントとなった。
2019年はプロで初となる背番号10に変更。
背水の陣で挑んだシーズンとなったが、怪我の影響もありリーグ戦12試合の出場に留まりこの年限りで15年のプロ生活に終止符を打った。
狩野健太の引退後と現在
狩野は現役引退後、『KENTA KANO private soccer training』を立ち上げ、小学生から大学生まで幅広い年齢層の指導を行っている。
また、2021年には古巣である川崎フロンターレのスクールコーチに就任。
同年には自身のファッションブランドである『PASADENA』を立ち上げるなど多方面で精力的に活動している。
トレードマークとなった金髪に甘いマスク、そしてスペースを見つけると柔らかなタッチで繊細なパスを通す類まれなるサッカーセンスは抜群だった。
スピードとフィジカルが求められ、11人で攻めて、11人で守るものへと様変わりした現代サッカーにおいて、スペースが命綱ともいえる司令塔というポジションを採用するチームは少なくなってきている。
それでも王様と称される司令塔というポジションで、自由にパスをさばく選手というのはやはり魅力的だし、美しい。
現役時代の狩野は「司令塔」と呼ばれる選手が放つ独特のオーラと華を併せ持った特異な存在であった。