サクドリと呼ばれる変幻自在のドリブルを武器に、数多くの好機を演出した桜井直人。
助走もなくトップギアに入ると、独特なリズムと予測不能な切り返しで相手を置き去りにする。
東京ヴェルディ時代は、エムボマやエジムンドなどワールドクラスの外国人選手と息の合ったプレーを見せた。
桜井のキレのあるドリブルは間違いなくJリーグトップクラスのテクニックだった。
桜井直人のJリーグ入り前
小学校に入ると4つ上の兄の影響を受け、サッカーを始める。
小学校3年時には地元の芝原少年団に入団する。当時からドリブルが好きな少年だったという。
さいたま市立三室中学校に進学後、サッカー部に所属。1学年下に大森征之(サンフレッチェ広島、名古屋グランパスなど)がいた。
中学校時代は全国大会出場やトレセン選出など目立った活躍はなかった。
中学校卒業後、一般受験で埼玉県立大宮東高等学校へ進学。
高校2年次から出場の機会を掴む。2年次の選手権埼玉県予選の決勝では浅利悟(FC東京)、室井市衛(鹿島アントラーズ)のいる武南と対戦。
1-1からPK戦にもつれこむ激戦となったが、惜しくも敗れ、選手権出場は叶わなかった。
高校3年次は埼玉県選抜に選出され、国体に出場。
高校卒業後はJクラブからのオファーはなく、大学進学を考えていたがサッカー部の監督の紹介で浦和レッズの練習に参加。
サテライトへの練習参加で結果を出し、卒業後の浦和レッズへの入団が決定する。
桜井直人のJリーグ入り後
1994年、浦和レッズに入団した桜井だったが、膝の手術の影響で1年目の出場機会はなかった。
1995年8月12日NICOSシリーズ第1節横浜フリューゲルス戦で、山田暢久と交代で出場しJリーグデビューを飾った。
その後も途中出場を続け、リーグ戦5試合に出場。
翌年からも浦和レッズに所属するも、サテライトでの調整が続き、レギュラー定着とはいかなかった。
1999年シーズン途中にヴェルディ川崎へレンタル移籍。
ヤマザキナビスコカップでヴェルディでのデビューを飾ると、2ndステージ第1節でリーグ初出場を果たし、この試合でJリーグ初ゴールをマーク。
第2節ジェフ市原戦でも2戦連発となるゴールを決める。
その後も得意のドリブルを武器に、攻撃の起点となる。
累積警告で出場停止となった第9節横浜Fマリノス戦をのぞいて全試合に出場。リーグ戦14試合で4ゴールをマークした。
2001年には日本代表候補に選出され、トレーニングに参加するも試合出場は叶わなかった。
2002年にはマルキーニョスやエジムンドといった強力な外国人とコンビを組み、突破力を生かしてチャンスを演出しリーグ戦24試合で4ゴールをマーク。
2003年はエムボマや平本一樹と2トップを組む機会が多く、後半途中から流れを変える切り札としての出場も増えた。
2004年はリーグ戦21試合で6ゴールをマーク。怪我の為、決勝出場は叶わなかったがヴェルディの天皇杯制覇にも貢献した。
2005年には地元の大宮アルディージャへ移籍。
2005年3月5日開幕戦のガンバ大阪戦で大宮のシーズン初ゴールを決め2-0での勝利に貢献。
その後もクリスティアン、トゥットらと強力な前線の中心として活躍。
2006年も途中出場が多かったが、第3節アルビレックス新潟戦でゴールを決めるなど、第4節ガンバ大阪、第7節横浜Fマリノス戦で立て続けにゴールを奪う。
この年、ヴェルディでも息の合ったプレーを見せていた小林大悟が加入したこともあり、プレーの幅が広がった。
2007年は古傷の左ひざ半月板の痛みが再発し、出場機会が減少。リーグ戦7試合の出場に留まった。
2008年、リーグ戦3試合の出場に留まると、怪我の影響もありこの年限りでの大宮退団を発表。33歳での現役引退となった。
桜井直人の引退後と現在
桜井は引退後、2009年から大宮アルディージャの下部組織で指導者としてのキャリアをスタート。
2010年からは浦和レッズの普及コーチとして活動。
2013年からはドリブルに特化したスクール「SORPRESA(ソルプレッサ)」を開校。自身の現役時代の最大の武器であったドリブル技術を多くの子供たちに教えている。
SORPRESA(ソルプレッサ)のホームページで、桜井は「ドリブル技術があれば、どのポジションでも力を発揮できる」というメッセージを発信している。
最新の戦術が情報としてすぐに入ってくるようになった昨今、チームとしての戦術や戦略は世界との差はほとんどないと言っていいだろう。
ただ、それをどう生かすのかは「個の力」次第だ。個の力が未熟であれば、最高のシステムも機能しない。逆にシステムが未熟でもこの力が成熟していれば勝てるのがサッカーだ。
桜井が言うように、いまやドリブル技術は攻撃的なポジションの選手だけが使う技術ではない。
GKもビルドアップに参加する現代サッカーにおいて、相手を交わす技術というのはサッカー選手として必要不可欠なテクニックだ。
2022年ワールドカップでも組織としての強さは証明している日本。
あとは個の強さをどう伸ばすかがカギとなる。