ヴェルディ黄金期のメンバーとして知られるGK藤川孝幸。
藤川孝幸はJリーグ開幕時にはベテランの域に達しており出場機会は多くなかったものの、持ち前の明るさもあり、全国区の高い人気を誇った。
出場した試合では果敢な飛び出しと反射神経の鋭さを見せ、特にPK戦では無類の強さを発揮した。
1995年のゼロックススーパーカップではベルマーレ平塚の高田哲也と中田英寿のPKを阻止しヴェルディ川崎の優勝に貢献した。
2018年4月、藤川孝幸は胃癌に侵されている事を公表。完全復活を誓うが、同年11月に惜しまれながら56歳で逝去した。
ヴェルディを支えたムードメーカーはあまりにも早くこの世を去った。
藤川孝幸のJリーグ入り前
川崎市立富士見中学校1年の時にサッカーを始める。
その頃の藤川は特にサッカーが好きというわけではなく、所属したサッカー部も川崎市の大会で1回戦で敗れてしまうレベルだったという。
中学校卒業後、2つ上の先輩に誘われ読売ユースのセレクションを受験する。
藤川は反射神経の良さと身体能力の高さを買われ、セレクションに合格。
読売ユース1年目から出場の機会を掴むようになる。
横浜商工高校卒業後、読売クラブとプロ契約を結んだ。
初年度の給与は年俸24万円であったと後のインタビューで語っている。
読売ではすでにこの頃からプロ契約選手には住居、光熱費、電話代、食事が確保されており併設されている遊園地やプールも無料だった為、月2万円の収入でも暮らせていけたと語っている。
しばらく出場機会に恵まれなかったものの、入団4年目のシーズンから少しずつ起用され始める。
1986年には菊池新吉が高卒ルーキーで加入し、激しいポジション争いを繰り広げた。
1991-1992シーズンに読売クラブが優勝を飾り、藤川はベストGK賞に選出された。
1993年、Jリーグが開幕。藤川は引き続きヴェルディ川崎とプロ契約を結んだ。
藤川孝幸のJリーグ入り後
1993年5月29日サントリーシリーズ第5節浦和レッズ戦で、負傷した菊池新吉に代わり後半からJリーグ初出場を果たす。
その後も正GKとして起用され、第7節の横浜フリューゲルス戦ではPK戦の末に勝利を挙げた。
その後は菊池新吉が復帰を果たし、藤川はサブとしてベンチ入りを続けた。
藤川は、明るい性格で知られバラエティ番組に数多く出演。
親友として知られる都並敏史と1993年からラジオ番組にレギュラー出演を果たすなど、全国区の人気を誇った。
1994年はリーグ戦6試合の出場に留まるが、1995年Jリーグ開幕前に行われたゼロックススーパーカップベルマーレ平塚戦で2本のPKを止めて優勝に貢献。
Jリーグ開幕試合のベルマーレ平塚戦でもスタメン出場を飾り、この試合でもPKによる勝利に貢献した。
その後も第11節名古屋グランパスエイト戦までスタメン出場を続けるも、この試合で4失点を喫し次の試合から大石尚哉にスタメンの座を受け渡した。
菊池新吉が怪我から復帰後は大石とベンチ入りを争う形となったが、このシーズンは以降出場がなく1995年限りで現役を引退した。
藤川孝幸の引退後
藤川孝幸は引退後、ヴェルディ川崎で5年、ヴィッセル神戸で4年、ベガルタ仙台で1年のGKコーチを歴任。
2006年は甲南大学サッカー部監督として関西大学2部秋期リーグ初優勝を飾った。
その後もセレッソ大阪やアビスパ福岡でのGKコーチなどを歴任し、2017年からはリーフラスが運営権を取得した北海道十勝スカイアースの代表に就任していた。
2018年4月に北海道十勝スカイアースの新体制発表会見で、自身がステージ4の末期の胃癌である事を公表。
癌告知からすぐに抗がん剤治療を開始し、完全復活を目指すも同年11月15日に56歳で死去した。
同年5月26日のJ2リーグ第16節東京V対愛媛戦(味スタ)の試合前には藤川の激励マッチが行われ、共に読売クラブやヴェルディで戦った多くの仲間が激励に訪れた。
読売クラブ同期入団のラモスがピッチで往年のテクニックで沸かせ、長年正GKを争った菊池新吉がゴールマウスを守った。
藤川は闘病によりすっかり痩せてしまっていたが、その鋭い眼光は健在でベンチから仲間達のプレーを真剣な眼差しで見つめていた。
その他にも親友の都並敏史、加藤久、柱谷哲二、与那城ジョージ、武田修宏、藤吉信次など読売の名プレーヤーが顔を揃えた。
私もこの試合をスタンドで観戦していたが、現在のヴェルディサポーターだけでなく現役時代の藤川を知るオールドファンも多く訪れていた。
ゴールが決まる度に選手達は藤川に駆け寄る。
試合後、選手達は「みんなこころひとつに」と書かれた横断幕を掲げスタジアムを周った。
スタンドからはいつまでも藤川コールが鳴り響き、その時味の素スタジアムの雰囲気はひとつになっていたように思う。
ヴェルディ黄金期を支えたGK藤川孝幸。
最後まで諦めずに戦った偉大なGKがいた事を私は忘れないだろう。