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加藤久の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第96回】

早大時代から日本代表として活躍した日本有数のDFである加藤久。

空中戦の強さとハードマークで読売クラブで活躍し、日本代表ではキャプテンも務めた。

Jリーグ開幕時は既に年齢は37歳となっていたが、ヴェルディ川崎や清水エスパルスで活躍。

加藤久はJリーガーとしてプレーをする傍ら、母校の早稲田大学で助教授として研究を志向するなどサッカー選手として異彩を放った。

頭脳派プレーヤー加藤久に迫る。

加藤久のプロ入り前


加藤久は1956年に宮城県の宮城郡利府町に生まれた。

10歳の頃、友達の影響でサッカーを始める。

塩釜市にある塩釜FCに入団し、塩釜一中から仙台ニ校へ進学。

自宅の天井にぶら下げたボールでひたすらヘディングを繰り返すなど、個人練習に明け暮れたという。

仙台二校に進学後は宮城県選抜チームメンバーに選ばれる活躍を見せる。

国体とインターハイで活躍して注目を浴びると、高校3年の時にはユース代表から召集を受けた。

高校卒業後、加藤は早稲田大学に一般受験で入学すると、早稲田大学ア式蹴球部へ入部。

関東大学リーグや大学サッカー選手権を始め多くのタイトルを獲得した。

加藤は3年から主将としてチームをまとめ、4年の時に総理大臣杯を獲得。

大学在学中の1977年には日本代表に選出され、1978年11月23日のソ連戦で代表デビューを飾る。

同年の12月に行われた日韓戦では試合には敗れるも、韓国戦で初ゴールを挙げた。

加藤は早稲田大学卒業後、筑波大学大学院体育学研究科修士課程に進学し、スポーツ選手では異例の1年間の空白期間を作り研究生活を続けた。

1980年、大学卒業から1年のブランクを経て読売クラブ(現東京ヴェルディ)へ入団。

当たり負けしない強靭な肉体を武器にスイーパーとして頭角を現すと、与那城ジョージやラモス瑠偉、戸塚哲也都並敏史などとともに読売クラブ黄金時代を築く。

1980年代から1990年代初頭に掛けてJSL1部4回、天皇杯を3回制覇し、加藤はベストイレブンに9回選ばれるなど日本を代表するDFとして君臨した。

尚、日本代表としては1977年の初選出から1987年までプレーし、国際Aマッチ61試合に出場した。

1985年に行われた1986メキシコワールドカップのアジア予選ではキャプテンを務め、日本を牽引したが最終予選で敗退。

1987年のソウルオリンピック予選においても最終予選まで駒を進めたが中国代表の前に敗退。この予選を最後に加藤は日本代表から退いた。

加藤は1993年、Jリーグ開幕後も引き続き読売クラブを母体とするヴェルディ川崎でのプレーを選択した。

加藤久のプロ入り後

1993年5月15日のJリーグ開幕カードとなった横浜マリノス戦で加藤久は背番号4をつけてスタメン出場を果たすも1-2で敗れた。

経験豊富なベテランDFとして期待されるも、当時のヴェルディ川崎監督である松木安太郎は読売クラブが築き上げた個人技重視の南米スタイルから組織力重視のオランダスタイルへとシフトチェンジを試みる。

その結果、オランダ人DFハンセンの獲得などそれまでのスタイルとは大きく変革し、加藤はポジションを失った。

結局、ヴェルディでのJリーグ出場は開幕カードの1試合に留まり、7月には清水エスパルスへ移籍。この移籍はJリーグ移籍第1号となる。

清水エスパルスに入団後は7月24日のジェフ市原戦から出場を果たす。

清水では、GKシジマール内藤直樹堀池巧平岡宏章とともに強固な守備陣を形成した。

加藤久加入後のエスパルスは優勝争いに加わるが、古巣であるヴェルディ川崎が初代王者に輝いた。

1994年シーズンも加藤久は清水エスパルスと契約。

しかしJリーガーと大学院生と日本協会(JFA)強化委員会副委員長の仕事をこなしていた加藤は、毎日、東海道新幹線での移動の日々という激務を送っていたが年齢の問題もあり、レギュラーから外れ、内藤直樹やロナウドが代わってセンターバックに入るようになった。

同年、ヴェルディ川崎へ復帰を果たすが、加藤のポジションにはペレイラが不動のレギュラーでおり、リーグ戦出場は多くなく、7試合の出場に留まりこの年限りで現役を引退する事となった。

加藤久の引退後と現在

加藤は引退後、1997年にヴェルディ川崎の監督に就任。

その後は湘南ベルマーレの監督や沖縄かりゆしFCの監督、京都サンガの監督やジュビロ磐田のGMなどを務めている。

日本を代表するディフェンダーとなった加藤久だが、基本のプレーに忠実な考えは揺るがない。

加藤は自身のプレーについてインタビューでこう答えている。

「特別な技術があるわけではない。止めて蹴る。基本がどれだけ高いレベルでできるか」

日本サッカー激動の時代を生き抜き、現在も指導者として第一線で活躍する加藤の考えはぶれる事はない。

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