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櫛野亮の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第368回】

接触を恐れない果敢な飛び出しと、激しいコーチングが特徴のGK櫛野亮。

2001年にジェフ市原で正GKの座を射止めると、2003年にはフルタイム出場を達成。
1対1に強く、ボールへの反応速度はJリーグでもトップレベルであった。

オシム監督の就任後は、後ろから繋いでいくサッカーに欠かせない選手として活躍した。

ジェフ千葉には実に16年という長い期間在籍し中心選手としてプレー。年代別日本代表としても活躍した。

櫛野亮のJリーグ入り前


櫛野亮は1979年に熊本県熊本市に生まれた。

熊本市立山ノ内小学校に入学後、サッカーを始める。1学年下に山口武士(鹿島アントラーズ)がいる。

熊本市立錦ヶ丘中学校に入学後、本格的にGKをやるようになる。同学年に福留亮(京都パープルサンガ)、濱田照夫(ロアッソ熊本)、佐藤真也(ギラヴァンツ北九州)がいる。1学年下に山口武士、2学年下に巻誠一郎(ジェフユナイテッド千葉)がいた。

高校3年次に全国高校サッカー選手権大会に出場。しかし1回戦で水戸商業に敗れている。
また熊本県選抜として国体に出場し、準優勝を果たしている。

高校卒業後、ジェフユナイテッド市原に入団する。

櫛野亮のJリーグ入り後

1997年にジェフに入団するも、ジェフには元日本代表の下川健一がいたため、入団後3年間は出番がなかったが、U-18、U-19 の日本代表に選出され海外遠征を経験する。

それまでは下川健一、立石智紀に次ぐ3番手の位置づけだったが、2000年3月25日1stステージ第3節ヴィッセル神戸戦で途中出場で、下川が退場したため、廣山望と交代で出場しJリーグデビューを果たした。
しかしこの試合は人数的不利の状況もあり、1-6で大敗しており、櫛野にとってはほろ苦いデビュー戦となった。

2001年は高嵜理貴が開幕スタメンで起用されるも1-4で大敗。第2節からは櫛野がゴールマウスを守った。
その後は正GKとしてジェフのゴールを守り。このシーズンは21試合に出場した。

2003年にはオシムがジェフの監督に就任。
オシムの提唱する「つなぐサッカー」を体現し、11人目のフィールドプレーヤーとしてビルドアップに参加した。
櫛野の持ち味でもある積極的な姿勢と、見方を激しく鼓舞するスタイルは見事にはまり、オシムサッカーに欠かせない選手として活躍。
プロ初めてのシーズンフルタイム出場を達成した。また、この頃にはフル代表への招集が噂されるようになった。

2005年、「2005JOMOオールスターサッカー」に選出され、スタメン出場を果たす。しかし8月の柏レイソル戦で左手首を負傷し、途中交代してからは出番が激減した。

2007年、出場機会を求め、名古屋グランパスへレンタル移籍を経験。楢﨑正剛不在時のゴールを守り、リーグ戦6試合に出場した。

2008年、ジェフに復帰。
岡本昌弘が正GKとして出場したため出番は限られたが、第2GKとしてチームを支えた。

2010年にはJ2に降格しながらもリーグ戦22試合に出場。岡本昌弘と熾烈なポジション争いを演じるが2013年にはリーグ戦出場が0に終わり、この年限りで現役を引退した。

櫛野亮の引退後と現在

櫛野は引退後、ジェフで指導者の道を歩き出している。
下部組織のGKコーチを務め、2016年からはトップチームのGKコーチを務めている。

櫛野のように大声を張り上げてコーチングをしたり、見方を鼓舞するスタイルの選手は、当時のジェフには珍しかった。

元々、思い切りの良さが持ち味の選手だったが、オシム監督が指揮を執った4年間は櫛野の良さが存分に生かされていたように感じる。

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