FC東京の背番号10といえば、梶山陽平だろう。
トップ下やボランチ、アンカーなど、様々な中盤のポジションにハイレベルで対応し、抜群のキープ力と才能が垣間見れるパスセンスで、ピッチに変化をもたらした。
本田圭佑や香川真司、岡崎慎司、長友佑都といった世界を舞台に活躍する選手たちが招集された北京オリンピックでも、背番号10を背負った事からも梶山に対する期待値の高さは顕著に表れた。
年代別代表では「もっともA代表に近い選手」として評価され、誰もが天才と称したゲームメーカー・梶山陽平。
しかし、梶山陽平のプロ生活には常に怪我が付きまとい、日本代表で活躍する姿を見ることは叶わなかった。
梶山陽平のJリーグ入り前
東陽小学校に入学後、1年生の時にサッカーを始めた。幼いころから才能を見出され、江東区の選抜チームに選出される。
小学校5年生の時に、親の勧めもあり、東京ガスFCジュニアに加入。梶山はここで特別クラスに選出され、大和田中学校進学後はジュニアユースへの昇格を果たす。
小学生の頃から、パスを出すことに楽しさを見出し、この頃から一貫して中盤でのプレーを選択することになる。
東海大学付属望星高等学校に進学後はFC東京U-18に昇格。
高校1年時に、高円宮杯第12回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会、第9回Jリーグユース選手権大会で準優勝、第25回日本クラブユース選手権(U-18)で優勝を経験した。
梶山は16歳の時に、初めて年代別日本代表に選出される。17歳の時にトップチームの練習に帯同するようになる。また、東京都選抜にも選出され、高2では高知国体、高3で静岡国体に出場して、どちらもベスト8に貢献した。
高校3年の2003年4月29日のヴィッセル神戸戦でJリークデビューを飾る。この年は高校生ながらリーグ戦3試合に出場した。
高校卒業後の2004年、梶山はFC東京とプロ契約を結んだ。
梶山陽平のJリーグ入り後
2004年、プロになった梶山は、ルーキーながらリーグ戦16試合に出場する。
長い足と、屈強なフィジカルを活かしたボールキープ力は定評があり、一瞬のすきを突いた長短のスルーパスで相手チームを翻弄した。
2004年8月29日に国立競技場で行われた東京ヴェルディ1969との「東京決戦」では、ゴールまで20M程の距離があるところから強烈なミドルシュートを突き刺し、Jリーグ初ゴールをマークした。同年のナビスコカップ・鹿島アントラーズ戦や、ジェフユナイテッド市原・千葉戦でも印象に残る貴重なゴールを奪った。この年、梶山はJリーグ優秀新人賞に選出される。
2005年シーズンからは、今野泰幸とともに中盤の底でダブルボランチを形成し、レギュラーを掴む。年代別代表としてもU-19、U-20と順調に選出され、活躍が期待されるも、膝の怪我に悩まされるようになり、手術をすることを選択する。
2008年からはFC東京で、生え抜き選手としては初となる背番号10を背負う。また同年に行われた北京オリンピックでも背番号10を背負うも、チームは3戦全敗し、グループリーグでの敗退が決まった。
2009年は、ナビスコカップで優勝を経験。リーグ戦でも31試合に出場し、主力として活躍した。同年オフに右膝と左足首の手術を決行。2010年の開幕戦に間に合うものの、怪我の影響でトップパフォーマンスとは程遠く、キャリア初となるJ2降格を味わうことになる。
2011年はキャリアハイとなるリーグ戦34試合6得点を記録し、1年でのJ1復帰に大きく貢献。同年の天皇杯にも6試合に出場し、優勝の原動力となった。同年オフにはドイツ2部のデュッセルドルフの練習に参加し、チームからも高い評価を得た。
2012年シーズン終了後、かねてからの目標であった海外移籍を実現する。ギリシャ1部リーグのパナシナイコスFCへレンタル移籍をした。
パナシナイコスでは、トップ下で起用されたものの、チーム事情から守備的MFとしてのプレーを求められ、徐々に出場機会が減少。リーグ戦7試合の出場に留まり、6月末にFC東京に復帰した。
同年、大分トリニータに移籍するも、古傷である右膝の痛みが再発。同年11月、右膝関節軟骨損傷による手術を受け、全治8ヵ月と診断され、長期離脱を余儀なくされた。
2014年からFC東京に復帰。視野の広さとパスセンスを活かして、アンカーとしてプレー。出場機会は限られたが、懐の深いプレーは健在で、チームに安定感を与えられる選手として重宝された。
2018年7月、出場機会を求め、J2のアルビレックス新潟へ移籍。しかし怪我の影響もあり、リーグ戦3試合の出場に留まり、同年限りで現役を引退した。
梶山陽平の引退後と現在
2018年シーズンをもって現役を引退した梶山は、FC東京の普及部コーチに就任。
FC東京のSNSでは、梶山がUー15、Uー18の指導者として、未来のFC東京の選手たちを育成すべく、汗を流している姿を見ることができる。SNSによると、長年悩まされた膝の怪我も回復傾向にあるようだ。
梶山がプロで残した成績は、J1通算267試合16得点、J2通算37試合6得点、J3通算13試合0得点。ギリシャスーパーリーグで8試合0得点だった。
将来を嘱望され続けた男の成績にしては、少し寂しい気はする。しかし、梶山がボールを持てば何かをやってくれるという期待感は、現役引退まで色褪せることはなかった。
怪我のない、万全な状態での梶山陽平を、日本代表で見たかったと感じるフットボールファンは多いだろう。