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望月聡の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第374回】

浦和レッズや京都パープルサンガで活躍したMF望月聡。

空中戦に強く、得点能力も高かったため、攻撃的なMFとして出場する機会が多かったが、キープ力を生かしてボランチとしてもプレーした。

望月聡は浦和レッズの記念すべきJリーグ初ゴールを決めた選手として知られているが、カップ戦での浦和レッズ初ゴールも彼である。

イタリアW杯予選アジア予選を戦った日本代表選手としても躍動。明るい性格でチームのムードメーカーとしても欠かせない選手だった。

望月聡のJリーグ入り前


望月は1964年に滋賀県大津市に生まれた。

小学校4年生の時にサッカーを始め、地元の膳所ジュニアサッカー少年団でプレー。

小学校卒業後、栗津中学校に進学し、主力として全国大会に出場。ベスト16入りを果たした。

八幡市出身の指導者であり、後のU-17日本代表監督となる松田保監督から声をかけられ、守山高校に進学。望月の1学年下に美濃部直彦(ガンバ大阪)がいる。

松田保監督の指導の元、才能を開花させた望月は高校2年次に国体の滋賀県選抜に選出。
高校3年次には選手権に出場。守山高校は1回戦で室蘭大谷を3-1で破り、2回戦で水戸商を2-0、準々決勝で東北学院を6-0で破りベスト4に進出。
望月は守山高校の大黒柱としてチームを牽引し、決勝進出をかけて羽中田昌(元カマタマーレ讃監督)がいる韮崎高校と戦ったがPK戦の末に、惜しくも敗れている。
高校3年次には滋賀県でただ一人、年代別日本代表に選出された。

高校卒業後、大阪商業大学に進む。同学年に本並健治(ガンバ大阪)、古俣健次(ジュビロ磐田)がいる。

大学では上田亮三郎監督の指導の元、全日本大学選手権や、総理大臣杯を制覇。

大学卒業後、JSL1部の日本鋼管サッカー部に入団する。

1987年、日本鋼管サッカーに入団した望月は、入団1年目から主力として活躍。
リーグ戦22試合中21試合に出場し、リーグ戦5得点5アシストと活躍。日本鋼管の年間順位2位となる原動力となった。

1988年も日本鋼管の主力として全試合に出場。日本代表にも選出され、1988年1月27日にドバイで行われたUAE戦で日本代表デビューを飾った。

1988年、1989年は日本代表としてコンスタントに選出され、1989年5月、6月に開催された1990年イタリアワールドカップのアジア1次予選の代表に選ばれ、柱谷哲二(ヴェルディ川崎)、長谷川健太(清水エスパルス)、井原正巳(横浜マリノス)、松永成立(横浜マリノス)、堀池巧(清水エスパルス)らとインドネシア代表との試合に出場した。

国際Aマッチではないが、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン) やエバートン(イングランド)、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)などのビッグクラブとの親善試合にも日本代表として出場している。

1992年、Jリーグ開幕を控え、Jリーグに参入する浦和レッズへ移籍する。

望月聡のJリーグ入り後

1992年、Jリーグ開幕前年に開催されたヤマザキナビスコカップの開幕試合であるジェフ市原戦に出場した望月は、後半20分に浦和レッズのカップ戦初ゴールを記録した。
カップ戦では背番号5を背負い、主にボランチとして出場した。

1993年、Jリーグが開幕。
開幕戦のガンバ大阪戦でボランチとして出場しJリーグデビューを飾る。
第3戦横浜フリューゲルス戦では浦和レッズのJリーグ初ゴールを決めた。この年はリーグ戦31試合で3ゴールを決めている。

1994年の序盤はベンチ入りを続け、4月6日の第7節横浜フリューゲルス戦ではゴールを決めるも、以降は出番が減り、リーグ戦6試合の出場に留まるとこの年限りで浦和を退団した。

1995年は、JFLの京都パープルサンガへ移籍。
ベテランとしてチームを牽引し、京都の年間2位&翌年のJリーグ昇格に貢献。望月は、サンガから元日本代表の森下申一とともにベスト11に選出された。

1996年も京都でプレーするも京都はシーズン開幕後17連敗を喫するなど低迷。望月もリーグ戦6試合の出場に留まり、この年限りで引退した。

望月聡の引退後と現在

望月は引退後、古巣の京都サンガやヴィッセル神戸、大宮アルディージャ、浦和レッズのコーチを歴任。

びわこ成蹊スポーツ大学サッカー部の監督や、日本女子代表のアシスタントコーチを務めるなど、指導者として精力的に活動をしている。

望月については、なでしこJAPANが初優勝を果たした2011年のFIFA女子ワールドカップで、佐々木則夫監督の横にいる印象が強い方も多いのではないだろうか。

いつかのインタビューで、望月は指導を行うあたって「問いかけ」を大切にしているという記事を見て感銘を受けたのを覚えている。

指導者として、選手に「〇〇をしろ」という答えを出すのは簡単だが、それでは何も成長はしない。
「〇〇だったらどう思う?」と常に問いかけ、考えさせることでサッカーはもっと面白くなる。それはきっとジュニアもトップも女子サッカーも同じだ。

試合で同じシーンは存在しない。
常に問いかけ、未来を予測し考えてプレーをさせることで判断力が磨かれ、自主性が生まれるのではないだろうか。

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