これほどまでに「巧い」FWは日本にいなかった。
柳沢敦は、いわゆる「オフ・ザ・ボールの動き」に秀でた選手で、
元日本代表の中村俊輔(ジュビロ磐田)は柳沢のことをこう評している。
「ヤナギさんは動き出しが誰よりも速い。パスを出そうとしたらもう走り出している」
柳沢敦はゴール感覚だけでなく、視野の広さやパスセンス、判断力といった部分においても長けていた。
FWというポジションが故に、得点が取れなければメディアに叩かれることもあったが、柳沢敦の登場により、FWに求められる役割と可能性が格段に広がったのも事実だ。
ワールドカップに2大会連続で選出されたほど監督からの信頼も厚かった柳沢敦はFWの仕事は点を取ることだけではない事を証明した。
今回はそんな柳沢に迫っていく。
柳沢敦のプロ入り前
小学校1年になると小杉SSCに入団してサッカーを始める。
中学時代にはFCひがしジュニアユースに所属。U-15日本代表に選出される活躍を見せる。
高校は富山第一高等学校へ進学。
3年連続で国体および高校総体への出場を経験し、高校3年時に出場した第74回高校選手権では超高校級選手として注目を集めた。
第74回大会は後に日本代表でともにプレーする中村俊輔や北嶋秀朗、鹿島アントラーズでともにプレーする平瀬智行など攻撃的な選手が注目を集める大会となった。
柳沢擁する富山第一高等学校は3回戦で静岡学園にPKで敗れた。
静岡学園のGKは後にワールドユースをともに戦う南雄太であった。
静岡学園はその年、順当に勝ち進み、優勝を果たすことになる。
柳沢敦は早くからそのサッカーセンスが認められ、Jリーグの13チームから声がかかる。
そしてその中から鹿島アントラーズを選択し、加入する。
柳沢敦のプロ入り後
鹿島アントラーズに入団した柳沢は初年度から活躍する。
初年度はリーグ戦8試合に出場し5得点を挙げる。翌1997年は8得点を挙げて新人王に選出される。
更に1998年には32試合に出場し22得点を記録し、当時の日本代表監督であった岡田武史氏から初召集を受ける。
柳沢は名実ともに鹿島のエースに成長した。
1999年には当時のU23日本代表監督であるトルシエ氏から召集を受ける。
2000年に開催されたシドニーオリンピックに柳沢は背番号13を付けて出場。
準々決勝のアメリカ戦では高原直泰(当時ジュビロ磐田)とツートップを組み、先制点を挙げる。
残念ながらPK戦の末にアメリカに敗れたが、柳沢は中心メンバーとして日本の躍進に貢献した。
その後2001年にはリーグ戦26試合に出場し12得点を挙げ、Jリーグベストイレブンに選出される。
2002年には日韓ワールドカップの日本代表に選出。ロシア戦では稲本潤一の得点をアシストするなど活躍。日本の初のベスト16進出に貢献した。
柳沢敦の海外挑戦。そして再びJリーグへ
ワールドカップ後の2003年。
柳沢はイタリアセリエAのUCサンプドリアへ移籍する。
柳沢はこのときの心境をこう語っている。
「不安はないわけではないが、それ以上に自信と期待がある」
サンプドリア側からも大きな期待を受けての移籍だったが、柳沢はリーグ戦15試合に出場するも無得点に終わってしまう。
サンプドリア側に契約延長の意思は無く、退団することになった柳沢は引き続き海外でのプレーを希望。
同じくセリエAに所属するACRメッシーナに移籍する。
しかし柳沢に与えられたポジションは本来のFWではなく左MFだった。
リーグ戦22試合に出場するも無得点に終わる。
柳沢は守備やゲームメイクに追われながらも、献身的な動きを見せ、2006年もメッシーナでプレーするチャンスを得るも、2006年は出場機会が乏しく、鹿島アントラーズへ復帰した。
2006年にはドイツワールドカップの日本代表に選出。
2試合に出場するも、クロアチア戦でDF加地亮(当時ガンバ大阪)のクロスを外してしまう。
この決定機を逃したプレーは後年まで批判される事態となった。
2007年は鹿島のキャプテンとしてプレーするも田代有三や興梠慎三の台頭により途中出場が多くなる。
柳沢は出場機会を求め2008年に京都サンガへ移籍。
この年、柳沢は復活を遂げ、低迷するチームを牽引。32試合に出場し14得点を記録。
7年ぶりのJリーグベストイレブンに選出された。
その後、京都には2010年まで在籍し、2011年にベガルタ仙台へ移籍。
しかし柳沢は怪我の再発もあり満足のいく出場機会を得ることはできなかった。
仙台には2014年まで在籍し、柳沢はJリーグ通算371試合出場し108得点を残して引退を決めた。
柳沢敦の引退後と現在
柳沢は2015年に鹿島アントラーズのコーチに就任。
8年ぶりに鹿島復帰を果たしたが、残念ながら2018年に規律違反のため、鹿島を去ったが、2019年1月、鹿島アントラーズのユースチームのコーチに復帰している。
柳沢のオフザボールの動きは特異であり、時にはゴールにまっすぐ向かうのではなく、あえてサイドに広がりスペースを作るような柳沢の動きにはいつもワクワクさせられた。
指導者となった柳沢はどのような選手を育ててくれるのか。期待せずにはいられない。