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田原豊の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第169回】

その圧倒的なフィジカルの強さと潜在能力の高さを併せ持った大型ストライカー、田原豊に大衆は大きな期待を抱いた。

外国人選手にも当たり負けしない身長187センチ、87キロの恵まれた体格。

その体格から繰り出されるダイナミックなプレーや、時折決めてみせる芸術的なバイシクルシュート。

物怖じしない性格や好不調の波の激しさも、スケールの大きさを感じさせるには十分だった。

結果が出せず移籍を繰り返しても、いつかきっと花開く、覚醒するはずだと信じたファンは多い。

それだけ田原豊には世界の舞台を期待させる何かがあった。

田原豊のプロ入り前


田原は1982年に鹿児島県姶良市に生まれた。

相撲をやっていた父親と水泳をやっていた母親の元に生まれた田原は幼い頃から体が大きかった。

小学校の時に伊敷サッカー少年団でサッカーを始める。

西姶良小学校へ転校後は西姶良サッカー少年団でプレーした。

重富中学校サッカー部で頭角を現した田原は鹿児島の名門である鹿児島実業高校へ進学する。

高校2年の時に全国高校サッカー選手権に出場。

一つ上の松井大輔(現横浜FC)と2トップを組んだ田原は、準々決勝の帝京戦などで得点を重ね決勝戦まで導く。

決勝戦ではGK黒河貴矢やDF中澤聡太、FW原竜太ら精鋭揃いの市立船橋高校に0-2で敗れるもこの大会で田原の得点能力の高さは全国的に知れ渡る。

高校3年時には鹿児島県城西高校が選手権に出場した為、高校2年時の出場が唯一の出場となった。

長身ながらも足元の上手いテクニックで強烈なインパクトを残した田原は超高校級ストライカーとして注目され、U19日本代表に選出。高校3年時にはアビスパ福岡の強化指定選手に指定された。(Jリーグ出演はなし)

超高校級ストライカーの進路に集まる中、田原は横浜Fマリノスへの加入を決断する。

田原豊のプロ入り後

マリノスに入団した田原は2001年3月10日J1第1節ヴィッセル神戸戦でJリーグデビューを果たす。田原はマリノスのエースストライカー城彰二と交代してピッチに入った。

第6節サンフレッチェ広島戦では城彰二と2トップを組み、Jリーグ初ゴールをマーク。2-1の勝利に貢献した。

またこの年行われたFIFAワールドユース選手権アルゼンチン大会のメンバーに選出され日本のエースとして活躍した。

しかしマリノスではサンフレッチェ広島戦での得点以降、結果が出せずリーグ戦13試合に出場1得点に終わる。

翌年は開幕から出番がなく、出場機会を求めて京都パープルサンガへ移籍。

京都では高校時代に2トップを組んだ松井大輔と共にプレー。

京都ではJ1とJ2を行き来するシーズンを過ごした。

2007年の入れ替え戦ではサンフレッチェ広島との試合で2ゴールを決め、2-1の勝利に貢献。京都のJ1昇格に貢献した。

日本人離れしたフィジカルを武器に前線のターゲットマンとなった田原だったが、運動量の少なさや、誰も真似できないスーパーゴールを決める一方で、GKとの1vs1を決めきれない不安定な面が改善されず2008年シーズン限りで7シーズン過ごした京都パープルサンガから戦力外通告を受ける。

まだ26歳だった田原は現役続行を希望し、Jリーグ合同トライアウトへ参加するも所属先はなかなか決まらず、開幕2日前になってJ2湘南ベルマーレへの入団が決まった。

ポストプレーはもちろん、激しいチェイシングや相手コーナーキック時には高さに不安を抱えた湘南のディフェンスをカバーするなど、チームに欠かすことの出来ない選手として活躍。

半径50センチ以内は国内最強と言われたボールキープ力を生かして、シーズンキャリアハイとなる10得点を挙げ、J1昇格に貢献した。

しかしJ1ではなかなか結果を出す事が出来ず、2年後の2011年には湘南を退団。

2012年には横浜FCへ移籍する。

同じ大型FWの大久保哲哉や、三浦知良、永井雄一郎、難波宏明、カイオというライバルがひしめき合う中、田原は空中戦の強さやキープ力を生かしてシーズン通して7ゴールを決める。

第27節の湘南ベルマーレ戦、第41節の東京ヴェルディ戦では田原のゴールで1-0で勝利しており、勝負所で決め切る強さを見せた。

しかし2013年はリーグ戦23試合出場と一定の出場機会を得ながらも1ゴールに終わりこのシーズンを持って横浜FCを退団。

2014年は自身初となる海外リーグを経験。
タイプレミアリーグのサムットソンクラームFCでプレーした。

しかし目立った活躍は出来ず、1年で帰国。

地元鹿児島県の鹿児島FCへ入団するも怪我もあり1試合のみの出場に留まり、2015年シーズンを持って現役を引退した。

田原豊の引退後と現在

田原は引退後、現在はサッカー界から離れ、SES関連の企業に就職しているとの事だ。

高校時代の田原豊を知る人からすれば、Jリーグでの田原の活躍は物足りないと感じるだろう。

時折、日本人には決められないであろうスーパーゴールを決める事はあってもJ1でシーズンを通して活躍する事は出来なかった。

それでも田原は大器の片鱗を見せてくれた。

2007年の愛媛FC戦で見せた規格外のオーバーヘッドゴール。

2008年の徳島ヴォルティス戦でのバイシクルシュート。

2008年のFC東京戦でアタリバからの真後ろからのクロスを滑り込みながら決めてみせたシュート。

フィジカルと運動能力に絶対の自信がある田原でないと決められないワールドクラスのゴールを見せてくれた。

独特の感性を持ち、野性味溢れるその風貌からも非常に期待値の高かった田原豊。

輝き続ける事は出来なかったが、誰よりも眩い光を発した瞬間があった事を私は忘れない。

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