鈴木啓太の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第511回】
豊富な運動量と献身的な守備で浦和レッズの中盤を支えた鈴木啓太。
自らが目立つことよりもチームのために走り続け、攻守のつなぎ役として浦和の黄金期を支えた。
東海大翔洋高校から浦和レッズへ入団すると、2002年にはボランチのレギュラーに定着。
2006年にはクラブ史上初となるJリーグ制覇を経験し、翌2007年にはAFCチャンピオンズリーグ優勝を達成した。
2006年、2007年と2年連続でJリーグベストイレブンに選出され、日本代表でもイビチャ・オシム監督のもとで主力として活躍。
「水を運ぶ人」と評された男は、16年間にわたって浦和一筋でプレーした。
鈴木啓太のJリーグ入り前
鈴木は1981年に静岡県清水市、現在の静岡市に生まれた。
4歳の頃からサッカーを始め、小学生になると清水第八サッカークラブに所属。
その後、清水市立入江小学校、東海大学第一中学校へ進学した。
中学時代には全国大会で優勝を経験。
高校は東海大学翔洋高校へ進学した。
高校時代から年代別の代表候補として注目され、将来を期待される存在となっていった。
そして2000年、高校卒業と同時に浦和レッズへ入団する。
当時の浦和はJ2で戦っていた。
鈴木はプロ1年目の2000年にはリーグ戦出場こそなかったものの、翌2001年にJ1デビューを果たす。
鈴木啓太のJリーグ入り後
2001年8月11日、2ndステージ第1節の鹿島アントラーズ戦でJリーグ初出場を果たす。
さらに9月29日の2ndステージ第7節FC東京戦ではJリーグ初ゴールを記録。
この年はリーグ戦15試合に出場した。
2002年になると出場機会を大きく増やし、リーグ戦26試合に出場。
2003年には29試合に出場するなど、徐々に浦和の中盤で存在感を高めていった。
ボランチとして相手の攻撃を潰し、奪ったボールを味方へつなぐ。
派手なプレーではない。
しかし、チームにとって欠かせない仕事を黙々とこなした。
2004年には浦和が2ndステージで優勝。
チャンピオンシップでは横浜F・マリノスと対戦し、鈴木も2試合に出場した。
この年はリーグ戦25試合に出場。
翌2005年には29試合に出場すると、浦和は天皇杯を制覇。
鈴木もチームの主力としてタイトル獲得に貢献した。
そして2006年。
鈴木にとって大きな飛躍のシーズンとなる。
浦和は開幕から安定した戦いを続け、最終的にクラブ史上初となるJリーグ制覇を達成。
鈴木はリーグ戦31試合に出場し、ボランチとして中盤を支えた。
その活躍が評価され、初めてJリーグベストイレブンに選出された。
さらに日本代表にも選出。
イビチャ・オシム監督のもとで代表に定着していく。
オシム監督が鈴木に求めたのは、チームのために走り続けることだった。
攻撃では味方にボールをつなぐ。
守備では相手の攻撃の芽を摘む。
味方が前へ出れば、その後ろをカバーする。
その献身的なプレーから、鈴木は「水を運ぶ人」と評されるようになった。
2007年は鈴木にとってキャリアの絶頂期となる。
浦和はAFCチャンピオンズリーグで快進撃を続け、決勝ではイランのセパハンを破り、クラブ史上初のACL制覇を達成。
鈴木も中盤の底でチームを支えた。
リーグ戦では33試合に出場。
2年連続となるJリーグベストイレブンにも選出された。
さらに全国のサッカー担当記者による投票で、日本年間最優秀選手賞にも選ばれた。
浦和の黄金時代を象徴する選手の一人となった。
また、この年にはFIFAクラブワールドカップにも出場。
浦和は3位決定戦でエトワール・サヘルを破り、アジア王者として世界の舞台でも結果を残した。
鈴木はその中でも中盤の守備を担い続けた。
日本代表でも存在感を高めていた。
オシム監督のもとで中盤の守備的な役割を担い、豊富な運動量を武器に相手の攻撃を封じる。
2006年から2007年にかけて、日本代表の中盤を支える存在となった。
2008年以降も浦和の中心選手としてプレー。
2009年にはリーグ戦32試合に出場し、2011年にも26試合、2012年には31試合に出場した。
2012年にはリーグ戦で2得点を記録するなど、攻撃面でもチームに貢献。
2013年も30試合に出場した。
しかし、2014年になると出場機会が減少。
2015年はリーグ戦4試合の出場にとどまった。
そして2015年11月。
鈴木はシーズン終了後の現役引退を発表した。
2000年に浦和へ加入してから16年間。
他クラブへ移籍することなく、浦和レッズ一筋でプロ生活を終えることになった。
J1通算379試合に出場。
得点は10。
数字だけを見ると、決して派手なものではない。
しかし、その数字には表れない仕事を鈴木は16年間続けてきた。
相手の攻撃を潰す。
味方のミスをカバーする。
ボールを奪えば味方へつなぐ。
そして、チームのために走る。
鈴木啓太の引退後と現在
現役引退後、鈴木はサッカーとは異なる分野にも活動の幅を広げた。
2015年には自身が代表を務めるAuB株式会社を設立。
アスリートのコンディショニングを支えるため、腸内環境に着目した研究や事業を進めている。
現役時代から自身のコンディションと向き合ってきた経験を、今度はアスリートや一般の人々の健康に生かしている。
2017年7月17日には、埼玉スタジアム2002で鈴木の引退試合が開催された。
浦和のOBを中心としたチームと、鈴木と日本代表でともに戦った選手たちによるチームが対戦。
鈴木はこの試合で2ゴールを記録した。
しかし後半に浦和OBチームへ移ると、現役時代と同じように黒子の役割に徹する。
田中マルクス闘莉王が攻め上がれば、その後ろをカバー。
最後まで鈴木らしいプレーを見せた。
試合終了後には金色のスパイクを脱ぎ、16年間のプロ生活に別れを告げた。
浦和レッズ一筋16年。
Jリーグ優勝。
ACL優勝。
2年連続のベストイレブン。
そして日本代表。
華々しい実績を残した一方で、鈴木啓太は常にチームのためにプレーすることを選んだ。
自分が輝くためではなく、仲間を輝かせるために走る。
「水を運ぶ人」と呼ばれた男は、まさにチームスポーツの本質を体現した選手だった。
浦和レッズの黄金時代を陰から支えた存在。
それが鈴木啓太だった。


