伊野波雅彦の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第512回】
DFだけではなく、ボランチやサイドバックもこなすユーティリティープレーヤー。
高い身体能力と豊富な運動量を武器に、長く日本サッカー界で活躍したのが伊野波雅彦だ。
FC東京でプロ入りすると、鹿島アントラーズへ移籍。
鹿島ではJリーグ優勝を経験し、その後はクロアチアの名門ハイデュク・スプリトにも挑戦した。
ヴィッセル神戸、ジュビロ磐田、横浜FCでもプレーし、日本代表としては2014年のブラジルワールドカップにも出場。
華やかなスター選手というより、チームの状況に応じて複数のポジションをこなすことで指揮官から信頼された選手だった。
伊野波雅彦のJリーグ入り前
伊野波雅彦は1985年8月28日、宮崎県宮崎市に生まれた。
宮崎東サッカースポーツ少年団でサッカーを始めると、生目台中学校へ進学。
中学卒業後は鹿児島実業高校へ進んだ。
鹿児島実業といえば、全国高校サッカー選手権でも数多くの実績を残してきた強豪校。
伊野波は高校時代から守備能力の高さを評価され、年代別の代表にも選出されるようになった。
高校卒業後は阪南大学へ進学。
大学では2004年、2005年とプレーし、2005年にはU-20日本代表にも選出された。
そして2006年、大学卒業とともにFC東京へ加入。
プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。
伊野波雅彦のJリーグ入り後
2006年。
伊野波はFC東京でプロ1年目を迎える。
開幕から出場機会を得ると、J1リーグでは28試合に出場。
プロ1年目から主力としてプレーした。
さらに8月にはアビスパ福岡戦でプロ初ゴールを記録。
守備だけでなく、セットプレーなどから攻撃面でもチームに貢献した。
当時の伊野波は、守備的MFとして起用されることもあれば、DFとしてプレーすることもあった。
その高い身体能力と運動量を生かし、複数のポジションをこなしていた。
2007年もFC東京で20試合に出場。
同年にはU-22日本代表にも選出され、北京オリンピックを目指す世代の中心選手の一人となった。
そして2008年、伊野波は鹿島アントラーズへ移籍する。
鹿島には、当時の日本を代表する選手が数多く在籍していた。
岩政大樹、内田篤人、小笠原満男、野沢拓也らとともにプレー。
伊野波はDFだけでなく、ボランチなどでも起用された。
2008年にはリーグ戦23試合に出場。
鹿島はJリーグを制し、伊野波はプロ入り後初めてリーグ優勝を経験することになった。
2009年になると出場機会はさらに増えた。
リーグ戦30試合に出場。
鹿島はこの年もJリーグを制し、2連覇を達成した。
伊野波も主力の一人として連覇に貢献した。
2010年も26試合に出場。
鹿島はリーグ3連覇を達成する。
伊野波自身も3年連続のリーグ優勝を経験した。
2011年も鹿島でプレーしていたが、シーズン途中に海外移籍を決断する。
新天地として選んだのは、クロアチアの名門ハイデュク・スプリトだった。
ハイデュク・スプリトにとって伊野波はクラブ史上初のアジア人選手。
日本を飛び出し、ヨーロッパでの挑戦を始めた。
しかし、海外での生活は順風満帆ではなかった。
クラブの給料未払いなどの問題もあり、2012年1月に契約を解除。
スペインなどへの移籍も模索したものの、最終的には日本へ戻ることになった。
2012年、ヴィッセル神戸へ加入。
再びJリーグでプレーすることになった。
神戸ではリーグ戦29試合に出場。
守備の中心としてチームを支えた。
しかし、神戸はこの年J2へ降格。
伊野波は1年で神戸を離れることになった。
2013年にはジュビロ磐田へ移籍。
ここでも守備の中心を担った。
ところが磐田もこの年J2へ降格。
2014年からはJ2で戦うことになった。
伊野波は2014年、2015年と2年続けてリーグ戦25試合以上に出場。
2015年には32試合に出場し、磐田のJ1復帰に貢献した。
一方、日本代表でも存在感を高めていた。
2006年に初めてA代表へ選出されると、その後も招集を重ねていった。
ザッケローニ監督のもとでは守備陣のバックアップとして重要な役割を担った。
そして2014年。
伊野波は日本代表としてブラジルワールドカップのメンバーに選出される。
グループリーグではコートジボワール、ギリシャ、コロンビアと対戦。
伊野波は3試合すべてに途中出場した。
日本はグループリーグを突破することはできなかったが、伊野波にとってはサッカー選手として大きな舞台を経験する大会となった。
2016年には再びヴィッセル神戸へ移籍。
神戸では経験豊富な守備のユーティリティープレーヤーとしてプレーした。
2016年はリーグ戦27試合に出場。
2017年には15試合、2018年には10試合に出場した。
2019年からは横浜FCへ移籍。
J2で28試合に出場すると、横浜FCのJ1昇格に貢献した。
2020年はJ1で19試合。
2021年も19試合に出場した。
36歳となった2021年シーズンを最後に横浜FCとの契約が満了。
伊野波雅彦のプレースタイル
伊野波の大きな特徴は、何と言っても複数のポジションをこなせることだった。
センターバックだけではない。
ボランチとして中盤に入り、時にはサイドバックを務める。
チーム事情に合わせてポジションを変えられるため、指揮官にとって非常に使いやすい選手だった。
そして、その土台となったのが身体能力と運動量。
守備では相手の動きを読みながら対応し、ボールを奪った後は前へ運ぶ。
中盤でプレーするときには守備から攻撃への切り替えにも関わった。
また、伊野波は守備的なポジションの選手ながら、ボールを持って前へ出ていくこともできた。
自らドリブルで持ち上がるだけではなく、前線へパスを送り、攻撃の起点になることもあった。
2006年のFC東京時代には中盤でプレーする姿も多く、そこからDFとしての経験を積み重ねていった。
一つのポジションだけに固定されなかったことが、長いキャリアにつながったともいえる。
伊野波雅彦の引退後と現在
2022年、伊野波は南葛SCへ加入する。
Jリーグ加盟を目指すクラブでプレーするという新たな挑戦だった。
南葛SCには、かつて日本代表でともに戦った今野泰幸や稲本潤一らも加入。
伊野波にとっても新しい環境での挑戦となった。
しかし、2022年シーズンは目の故障などもあり、思うようにプレーすることができなかった。
そしてシーズン終了後、南葛SCを退団。
伊野波自身も「自分のイメージと実際のプレーの感覚のずれ」を感じていたことを明かし、プレーを続けることについて考え抜いた末の決断だった。
FC東京でプロ生活を始めてから、鹿島、クロアチア、神戸、磐田、横浜FC、そして南葛SC。
さまざまなクラブでプレーした伊野波雅彦。
日本代表としては21試合に出場し、2014年にはワールドカップの舞台にも立った。
JリーグではJ1、J2の両方を経験。
鹿島では3年連続のJリーグ優勝を経験し、磐田や横浜FCではJ1昇格にも貢献した。
華やかなスター選手ではなかった。
しかし、DFでもMFでもプレーできる。
チームが必要とする場所でプレーする。
監督から与えられた役割を忠実にこなす。
そんな伊野波雅彦の存在は、多くのチームにとって貴重だった。
一つのポジションにこだわらず、チームのために自分の役割を変える。
それが伊野波雅彦という選手の魅力だったのではないだろうか。

