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下川健一の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第139回】

ジェフ市原の最後の砦として、長きに渡りゴールマウスを守った男、下川健一。

その能力の高さは誰しもが認めるところで、1995年から1997年にかけては日本代表に選出され1996年のアジアカップでは正GKを務めた。

188センチの長身を生かし、ハイボールの処理や一対一では抜群の強さを発揮した。

高校時代から注目され、日本サッカーリーグで新人王を獲得した逸材は日本を代表するGKとなった。

下川健一のプロ入り前


下川は1970年に岐阜県岐阜市に生まれた。

岐阜市立城西小学校の時にサッカーを始める。

岐阜市立島中学校の時には早くも頭角を現し、3年連続で東海選抜に選出されるなど早くもその将来を嘱望された。

中学卒業後、岐阜県立岐阜工業高等学校へ進学。

高校1年時から3年連続で全国高校サッカー選手権、インターハイに出場する。

2年時に出場した選手権では準々決勝で四日市中央工業に敗れベスト8、3年時に出場した選手権では2回戦で帝京高校に0-3で敗れるも、下川は大会優秀選手に選出された。

身体が大きく、そのポテンシャルの高さから即戦力として期待された下川の元には日本サッカーリーグの各チームから多くのオファーが届き、その中から古河電工(後のジェフ市原・千葉)を選択する。

入団後、すぐさまレギュラーの座を掴み日本サッカーリーグ新人王、ベストイレブンを獲得した。

古河電工には元日本代表GK加藤好男がいたが、キャリア晩年を迎えており、世代交代のタイミングも重なり下川健一は高卒ルーキーながら積極的に起用された。

下川健一の恐れないダイナミックなプレーは、各マスコミから「将来の日本代表GKは10年安泰」とまで騒がれ、いっそうの成長が期待され1990年のアジアカップには控えGKとして日本代表に選出された。

1990-1991シーズンの古河電工対読売クラブの試合で、DF加藤善之がハーフウェイライン付近から蹴ったハイボールをファンブルし失点してしまうミスを起こすも、その後は安定したセービングを見せレギュラーを失う事はなかった。

古河電工サッカー部はJリーグ参入の為にジェフユナイテッド市原へ改称し、下川健一はジェフ市原でJリーガーとなる選択をした。

下川健一のプロ入り後

下川健一は1993年5月16日、Jリーグ開幕試合となるサンフレッチェ広島戦に背番号1をつけ先発出場。

いきなり前半開始1分に風間八宏にボレーシュートを決められてしまうが、その後は安定した守備を見せる。ジェフ市原はパベルのゴールで一時は同点に追いつくも小島光顕に決勝ゴールを決められてしまい黒星スタートとなった。

その後も守護神としてジェフのゴールマウスを守るも6月23日の浦和レッズ戦で開始早々に相手選手と衝突し靭帯損傷の大怪我を負う。

一時ポジションを失うものの復帰後は再度正GKとして起用された。

1995年、6月10日に行われたアンブロカップのスウェーデンとの試合で日本代表として初出場を果たす。

その後も日本代表の加茂周監督から定期的に召集され、小島伸幸菊池新吉と正GK争いを繰り広げた。

1996年にはアジアカップの4試合を含む7試合に出場し、1997年も序盤は招集を受けていたが川口能活や楢崎正剛の台頭や加茂周監督の更迭もあり、ワールドカップへの出場は叶わなかった。

2000年に若手の櫛野亮にレギュラーを奪われ、同年オフに長年所属したジェフを退団。

この時には小倉隆史と同様にジェフサポーターから残留署名活動も起こった。

ジェフを退団した下川は2001年に横浜F・マリノスへ加入。

マリノスには榎本哲也、榎本達也がいた為、下川は第3GKの位置となったが若手の見本として6シーズンに渡りマリノスに在籍した。

マリノス時代はリーグ戦で出場した試合は2003年11月29日対ジュビロ磐田戦(2003年J1・2ndステージ最終節)の1試合のみとなる。

優勝がかかった大切な試合となったが、前半に磐田に先制された後、先発GKの榎本哲也がグラウと小競り合いを起こし退場となり、急遽出場となった。

久々のリーグ戦出場だったが交代出場以降、無失点に抑え後半ロスタイムの逆転により2ndステージ優勝、そして年間完全優勝の瞬間をピッチで迎えた。

その後マリノスには2006年まで在籍し、この年限りで引退を表明した。

下川健一の引退後と現在

下川は引退後、2007年より、横浜F・マリノス育成GKコーチとしてユース以下の世代のGK育成を担当している。

ジェフを離れてマリノスに行ってからはほとんど試合に出場する事のなかった下川健一。

しかし、第3GKに経験豊富で元日本代表の下川がいるという事は、若手GK育成の意味だけでなくGKに何かあったとしても戦力として十分な存在が控えにいるというフロントや選手達の安心感は絶大なものであっただろう。

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