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木澤正徳の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第275回】

オープンスペースを俊足を生かして縦に突破するドリブルが魅力の攻撃的右サイドバック木澤正徳。

クロスだけでなく中に切り込んでの強力なシュートも木澤正徳の持ち味だ。

ジェフ市原、セレッソ大阪、アルビレックス新潟、水戸ホーリーホックと渡り歩いた。

現役晩年に加入した水戸ホーリーホックでは最年長選手としてチームを牽引。スピードを生かしたセンターバックとしても活躍した。

木澤正徳のJリーグ入り前


木澤は1969年に茨城県古河市に生まれた。

小学校からサッカーを始め、高校は茨城県の名門である古河第一高等学校へ進学。

高校2年時に全国高校サッカー選手権大会に出場。2年時は2回戦で高知高校に0-2で敗れている。3年時は3回戦まで進出するも三重県代表の四日市中央工業に0-2で惜敗した。また3年時には国体にも出場を果たした。

高校卒業後、地元の古河電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド千葉)へ入部。

木澤は清雲栄純監督の元で2年目から出場の機会を得る。3年目、4年目ともにリーグ戦20試合に出場。

1992年に古河サッカー部はJリーグ参入の為にジェフユナイテッド市原へ改称。木澤はジェフでJリーガーとなった。

木澤正徳のJリーグ入り後

木澤は1993年5月16日のJリーグ開幕戦サンフレッチェ広島戦でJリーグデビューを飾る。

第2節のヴェルディ川崎戦でも先発出場するも、前半24分に怪我の為に佐々木雅尚と途中交代。試合は佐々木が決勝ゴールを決め2-1で勝利している。1stステージの出場はこの2試合のみに留まったが2ndステージには復帰し8試合に出場。

1994年は開幕のガンバ大阪戦から先発出場を続け、第11節名古屋グランパス戦でJリーグ初ゴールを記録。1-0での勝利に貢献した。しかし2ndステージはほとんど出番がなくこのシーズン限りでジェフを退団。

1995年にセレッソ大阪へ移籍。

木澤は攻撃型右サイドバックとしてレギュラーに定着し、キャリアハイとなるリーグ戦48試合に出場し4ゴールをマーク。1996年、1997年も怪我で離脱する事もあったがシーズンを通してレギュラーを守り抜く。1998年2ndステージから出番が減少。この年を持ってセレッソを退団する。

1999年にJ2のアルビレックス新潟へ移籍。

新潟ではキャプテンに就任し若いチームを牽引。右のオープンスペースを疾走し絶妙なクロスでアシストを量産した。新潟には2シーズン在籍しリーグ戦71試合に出場した。

2001年に地元であるJ2の水戸ホーリーホックへ移籍。

最年長選手としてチーム内外でリーダーシップを発揮。俊足を生かしてセンターバックとしてもプレーした。水戸には4シーズン在籍し2004年をもって現役を引退した。

木澤正徳の引退後と現在

木澤正徳は引退後、2005年から水戸ホーリーホックのコーチに就任。

2011年にFC琉球、2012年にジェフユナイテッド千葉でヘッドコーチを務め、2013年からは江戸川大学のヘッドコーチを務めている。

木澤が指導する江戸川大学フットボールクラブは千葉県大学サッカーリーグ 1 部、千葉県社会人サッカーリーグ 1 部に所属している。直近では大学リーグでは関東サッカーリーグ昇格を、社会人リーグでは優勝を目指して戦っている。

チームでは現役時代にジェフで共にプレーした鈴木秀生が総監督を務め、木澤正徳がヘッドコーチとして支えている。

2018年は千葉県大学リーグで初優勝を飾り、関東大学リーグ参入戦に回るなど飛躍が続く江戸川大学フットボールクラブ。念願の関東リーグ昇格は叶うか、注目してみたい。

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