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池田太の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第463回】

先を読むクレバーな守備が持ち味のDF池田太。

武南高校時代は背番号10を背負い、攻守の要として活躍し選手権ベスト8進出の原動力となった。

青山学院大学を経てプロ入り後はサイドバックやセンターバックでプレーし、創世記の浦和レッズを支えた。

現役引退後は浦和レッズはアビスパ福岡でコーチを務め、2021年には日本女子代表の監督に就任している。

池田太のJリーグ入り前


池田は1970年に東京都小金井市に生まれた。

小金井市立小金井第四小学校3年生の時に、3歳年上の姉の影響でサッカーを始めた。
小金井第四小学校では4年生以上がクラブに入れる事になっていたが、先生にお願いし3年生対象のクラブを作ってもらうことになった。

小金井市立南中学校卒業後、強豪の武南高校へ進学。
1学年下に川合孝治(コンサドーレ札幌)、田中信孝(柏レイソル)、2学年下に木寺浩一(アルビレックス新潟)、伊藤彰(川崎フロンターレ)、3学年下に上野良治(横浜F・マリノス)がいる。
また3年次にボリビアから1歳上の石川康(ヴェルディ川崎)が留学という形で同学年に編入している。

高校入学後はそれまでFWでプレーしていたが、視野の広さを評価されセンターバックにコンバートされる。
入学当初はBチームでプレーするも次第に頭角を現し、3年次には背番号10を背負いキャプテンに就任した。

高校3年次には選手権でhベスト8に進出。準々決勝では小川誠一野口幸司のいる市立船橋に1-3で敗れたが、池田はこの大会の優秀選手に選出された。
また、インターハイではベスト4入りを果たしている。

高校卒業後、青山学院大学へ進学。
同学年に川合孝治(コンサドーレ札幌)、小屋禎(ジェフユナイテッド市原)、1学年下に戸倉健一郎(ヴェルディ川崎)、細川浩三(京都パープルサンガ)がいる。

大学では1年次からレギュラーとして活躍。
関東大学サッカーリーグ1部昇格に貢献し、バルセロナオリンピック代表候補にも選出されている。

大学卒業後、浦和レッズに入団。同期入団に山崎真、西野努、池田伸康らがいる。

池田太のJリーグ入り後

入団1年目の1993年7月3日サントリーシリーズ第15節サンフレッチェ広島戦でJリーグデビューを果たす。
その後はレギュラーに定着しセンターバックや左サイドバックとして起用された。
同年のNICOSシリーズ第10節横浜マリノス戦ではJリーグ初ゴールを決める。
池田はこの年リーグ戦18試合に出場し1ゴールを決めたが、同年のレッズは守備が崩壊し、前半戦、後半戦共に最下位となった。

1994年のサントリーシリーズは田口禎則チョウキジェがセンターバックを務めた事によりサブに回る機会が増えたが、前半戦も最下位となる。
守備陣の立て直しが急務となったNICOSシリーズでは開幕戦から起用され、途中加入した元ドイツ代表ブッフバルトを中心としたDFラインの左サイドとしてレギュラーを獲得。
リーグ戦27試合に出場し、浦和も最下位を脱出し11位でシーズンを終えた。

1995年も開幕戦から出場を続けるが、4バックから3バックに移行するとサブに回るようになり、リーグ戦8試合の出場に留まった。

1996年は出場機会がなく、このシーズン限りで現役を引退することになった。

池田太の引退後と現在

池田は引退後、指導者に転身。

引退翌年の1997年から浦和レッズのユースでコーチを務め、その後にユースの監督に就任した。

2002年からトップチームのコーチに就任し、2009年からは浦和レッズハートフルクラブのコーチを担った。

2012年からはアビスパ福岡でトップチームのコーチを務め、同年の10月には監督代行として指揮を執った。

2017年からは女子サッカーのコーチを務め、2021年からは日本女子代表の監督に就任している。

2023年7月にはオーストラリア及びニュージーランドでサッカー女子ワールドカップが開幕する。
日本は、グループCに配属され、スペイン、コスタリカ、ザンビアと対戦することになっている。

近年目覚ましい活躍を続ける日本女子サッカーだが、再び「世界のなでしこ」となることができるか。
池田太の手腕に注目したい。

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