身長173センチと小柄ながら、絶妙なポジショニングと正確なシュートを武器に活躍したブラジル人ストライカー・ベベット。
ワールドカップ3大会連続出場、リーガエスパニョーラ得点王という実績を持ち、ブラジルのフラメンゴ時代には「神様・ジーコの後継者」と呼ばれた男。
36歳という年齢で、鹿島アントラーズに加入。ワールドカップでの活躍ぶりから、大きな期待を寄せたファンも多いだろう。
しかし、ベベットは日本のサッカーに馴染むことは出来ず、僅かに1ゴールを決めただけで、日本を去ることになった。
ベベットのJリーグ入り前
ベベットは1964年に、ブラジル・バイーア州の州都サルヴァドールに生まれた。
地元のクラブチーム・エスポルテ・クラブ・バイーアで技術を磨き、1982年にヴィトーリアとプロ契約を結びトップデビューを果たす。
加入1年目から14ゴールを挙げたベベットは、翌年、名門のフラメンゴへ移籍する。
小柄ながら、技術に優れ、攻撃的ポジションであればどこでも順応するプレーぶりから、ジーコの後継者として注目された。
1989年シーズンには、CRヴァスコ・ダ・ガマに加入。ブラジル全国選手権優勝の原動力となり、ベベットはこの年の南米最優秀選手に輝いた。この年、ベベットはブラジル代表に選出され、南米選手権優勝に貢献。6ゴールを決め、得点王にも輝いている。
1990年には、イタリアワールドカップのブラジル代表に選出されるが多くの時間をベンチで過ごした。
1992-93シーズンには、スペイン1部のポルティボ・ラ・コルーニャに移籍。 ラ・コルーニャは1部に昇格したばかりのチームであったが、ベベットはこの年37試合で29得点を決め、得点王に輝いている。 ラ・コルーニャには4シーズン在籍し、131試合で86ゴールを奪うなど、驚異的な数字を残した。
1994年には、アメリカワールドカップに出場。ロマーリオと2トップを組み、グループリーグのカメルーン戦でワールドカップ初ゴールをマークすると、決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦、準々決勝のオランダ戦でもゴールを決め、決勝でイタリアを破り、優勝に大きく貢献した。
1996年にはフラメンゴに復帰し、その後は、セビージャ、ヴィトーリア、クルゼイロ、ボタフォゴ、トロス・ネサと各チームを渡り歩く。
1998年には、フランスワールドカップに出場。ロナウドやリヴァウドらと連動し、ブラジルの準優勝に貢献。ベベットも大会で3ゴールを記録した。
2000年、ジーコからのオファーを受け、鹿島アントラーズに入団する。
ベベットのJリーグ入り後
ベベットの推定年俸は1億5000万円。当時のスポーツニュースでも特集が組まれ、ゆりかごパフォーマンスが何度飛び出すのかと話題になった。
2000年の鹿島アントラーズは、総監督にブラジル代表としてともにプレーしたジーコ、監督にトニーニョ・セレーゾ、フィジカルコーチにマリオ、GKコーチにイッカ、フィジオセラピストにリカルドと、フロントに多くのブラジル人が顔を揃えた。
外国人選手も、ファビアーノ、ビスマルク、そしてベベットと、ブラジル人選手が揃った。
ベベットは、2000年3月18日の第2節川崎フロンターレ戦で、Jリーグ初出場。柳沢敦と2トップを組み、得点は奪えなかったが1-0での勝利に貢献している。
第4節のアウェイでの横浜Fマリノス戦で前半29分に、柳沢敦の浮き球パスを押し込み待望のJリーグ初ゴールを奪う。
しかし、その後は先発出場は続けるも、4試合連続でのノーゴールに終わり、コンディション不良と怪我の影響で離脱。
第13節のガンバ大阪戦で復帰するも、後半途中に交代となり結局これがベベットのJリーグラストゲームとなってしまった。
6月7日には、鹿島アントラーズがベベットとの契約解除を発表。
36歳という年齢から、このまま引退かと思われたがブラジルに帰国後、ヴィトーリアと契約。
2001年からはヴァスコ・ダ・ガマと契約を結ぶが出場機会は少なかった。
2003年には、サウジアラビアに渡り、アル・イテハドと契約を結ぶも、リーグ戦5試合の出場に留まり、この年を持って現役を引退した。
ベベットの引退後と現在
ベベットは現役引退後、指導者を経て政治家に転身。
2010年、ブラジルのリオデジャネイロ州会議員を務め、2014年ブラジルW杯大会組織委員会理事を務めた。 ベベットが息子のマテウスの誕生を祝って、1994年アメリカワールドカップで披露したゴール後のセレブレーション「ゆりかごパフォーマンス」は、世界的に有名となり、その後も多くのサッカー選手が行っている。
鹿島アントラーズでの芳しくないプレーぶりから、期待外れだった外国人選手としてのレッテルを貼られたベベットだが、ブラジル代表としては、歴代得点ランキング6位となる39ゴールをマークしている。
ベベットの上には、ペレ(77ゴール)、ロナウド(62ゴール)、ネイマール(61ゴール)、ロマーリオ(55ゴール)、ジーコ(48ゴール)が名を連ね、ベベットの下には、リヴァウド(34ゴール)、ロナウジーニョ(33ゴール)、カレカ(29ゴール)、ロビーニョ(28ゴール)、アドリアーノ(27ゴール)などのブラジルを代表する名選手がズラリと並ぶ。
そんなベベットが、Jリーグではリーグ戦8試合で1ゴール。たった4ヶ月で日本を去ってしまった。ベベットの退団で攻撃の要を失ったかと思われた鹿島アントラーズだが、この年、圧倒的な強さを見せJリーグ、ナビスコカップ、天皇杯を制覇し、Jリーグ発足以来初の三冠を達成している。
鹿島時代のベベットのコンディションが良くないことは、誰の目から見ても明らかであった。結果的にベベットが早期退団したことで、チームが結束し三冠に結びついたのではないだろうか。