スプリント能力に優れ、右利きながら、左足でも強力なシュートを放てる茂木弘人。
若くして、その才能は注目を集め、U16日本代表から同21代表まで、各世代の日本代表を経験した。
2007年、FWからサイドバックにコンバートされると、スピードを生かした積極的なオーバーラップで、ヴィッセル神戸の攻撃に厚みをもたらせた。
2009年から再びFWにポジションを戻すと、茂木の前線からのチェイシングは、より強力になった。茂木は、コンバートの経験を経て、苦しい時にチームの為に走れる選手へと変貌を遂げたのだった。
茂木弘人のJリーグ入り前
茂木は、1984年に、福島県福島市に生まれた。
福島市立松川小学校3年生の時に、松川サッカー少年団に入り、サッカーを始める。
松陵中学校時代には、U15日本代表に選出され、イタリア遠征に参加している。
中学卒業後、全国の強豪チームからのオファーを断り、福島県内の聖光学院高等学校に進学。
当時、聖光学院高等学校の監督は、ヴェルディ川崎に所属していた鋤柄昌宏が務めており、鋤柄を慕っての入学であった。
茂木は、1年時からエースとして活躍し、U16、U17、U18と、各世代別代表に順当に選出され、頭角を現していく。
2001年に開催されたU17世界選手権では、背番号9を背負い、チームのエースとして活躍。同チームには、菊地直哉、成岡翔、阿部祐大朗、工藤浩平、矢野貴章、藤本淳吾などの後のJリーガーとなる選手がいたが、グループリーグで敗退している。
高校卒業後、サンフレッチェ広島からオファーを受け、入団を決意する。
茂木弘人のJリーグ入り後
サンフレッチェに入団した茂木は、2002年4月13日の1stステージ第6節・横浜F・マリノス戦でJリーグデビューを飾る。入団1年目ながら、リーグ戦15試合に出場し2ゴールを決める活躍を見せたが、チームは勝ちきれない試合が続き、J2降格を経験する。
入団2年目はJ2での戦いとなったが、リーグ戦23試合で5得点を決め、1年でのJ1復帰に貢献する。この間も世代別代表に選出され、ワールドユース選手権へ出場する。
しかし、怪我の影響もあり、サンフレッチェでは、2004年は8試合、2005年は12試合の出場に留まると、2006年にはJ2のヴィッセル神戸への移籍を決断する。
2006年は、リーグ戦37試合に出場したものの、フル出場は7試合に留まり、自身初のシーズン無得点に終わった。
2007年、茂木は松田浩監督に直訴し、サイドバックに転向する。このコンバートがはまり、茂木はレギュラーに定着。石櫃洋祐とともに、攻撃的サイドバックとして神戸の両サイドを支えた。
2008年はアキレス腱断裂という大怪我を負い、1年を棒に振るが、2009年にFWとして復帰を果たす。
吉田孝行や大久保嘉人と息の合ったプレーを見せ、得点を重ねる。特にガンバ大阪戦では、2試合で3ゴールを奪う活躍を見せた。
その後は、主にFWとして起用されたが、チーム状況によってはサイドバックやサイドハーフとしても稼働。神戸には2014年まで所属し、J1・J2で260試合に出場を果たした。
2015年からは地元である福島に帰郷し、J3の福島ユナイテッドに所属。
主にMFか、サイドバックでの起用となったが、2016年3月13日のブラウブリッツ秋田との開幕戦では、サイドバックでの出場ながら、0-1で迎えたアディショナルタイムにゴールを奪い、貴重な勝ち点獲得に貢献している。
茂木は、2018年シーズンを持って現役引退を表明。17年間のプロ生活に別れを告げた。
茂木弘人の引退後と現在
茂木は、現役晩年の福島ユナイテッドに所属中、福島医療専門学校で鍼灸を学ぶ。
昼間はサッカー選手として活動し、夜は学生として勉強に励む生活を3年間を送った。
2018年に無事、鍼灸師の資格を取得後、2019年からは「かまた鍼灸整骨院」で鍼灸師として勤務する傍らで、地元の福島市の子ども・児童を対象としたアスリート専門塾「ゴールドチャレンジ」でサッカーの指導にも携わっている。また、母校である聖光学院高等学校でサッカー部のコーチとしても活躍している。
茂木は、身長が174センチと、FWとしては高くはないが、身体能力に優れており、空中戦でも強さを発揮した選手であった。スピードがあり、オフ・ザ・ボールの動きも献身的であったことから、サイドバックへのコンバート成功は必然的であったと言えるだろう。
DFを経験したことで、プレーの幅が広がった茂木は、FWに戻った2009年に、キャリアハイとなるリーグ戦8得点を挙げ、輝きを放った。その後は、様々なポジションで起用されることになるが、どのポジションでも安定したプレーを見せる茂木は、チームにとって心強い存在だっただろう。
「FWか?サイドバックか?それとも・・・?」
ユーティリティープレーヤーである茂木の起用法は、サポーターにとっても楽しみのひとつだったに違いない。