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吉田孝行の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第182回】

サックスブルーに染まった青空はまるでその瞬間を待っていたかのようだった。

1999年1月1日、国立競技場。

50000人を超える大観衆に見守られながら遂にその時を迎えた。

清水エスパルスとの激戦に終止符を打ったのはフリューゲルスの生え抜きFWである吉田孝行だった。

ペナルティエリアの混戦の中、吉田が右足で振り抜いたシュートは勢いよくゴールネットに突き刺さった。均衡を破る殊勲のゴール。この吉田のゴールが決勝点となった。

横浜フリューゲルス天皇杯制覇。そして同時に横浜フリューゲルスがこの世から消滅した瞬間だった。

タイムアップと同時に泣き崩れる選手達。

その涙の意味は喜びも安堵も悔しさも悲しさも入り混ざった、到底言葉では言い表す事の出来ないものだった。

吉田孝行のプロ入り前


吉田は1977年に兵庫県川西市に生まれた。

上牧小学校入学後、兄の影響でサッカーを始め小学校4年生の時に上牧スポーツ少年団に所属した。

幼い時から攻撃的なポジションでプレーしており、ストライカーだけでなく司令塔やアタッカーなど様々なポジションを経験。この事が後の吉田のユーティリティなプレーに繋がっていく。

上牧中学校入学後、2年生の時に川西市立東谷中学校へ転校。サッカー部に所属し活躍はしていたものの全国的には無名の存在だった。

そんな吉田だったが強豪校へと進学を希望し、サッカー部の顧問の先生が熱心に受験先を探してくれた事がきっかけで滝川第二高校の試験を受け見事に合格する。

高校入学後、頭角を現した吉田は滝川第二高校時代には日本で開催されたFIFA U-17世界選手権(1993年)に中田英寿、宮本恒靖松田直樹と共に出場を果たす。
高校サッカー選手権には3年時に兵庫県代表として出場。

同学年の波戸康広と共にチームを牽引するも2回戦で滋賀県の守山北高校にPK戦の末に敗れている。

高校卒業後、吉田は波戸と共にオファーを受け横浜フリューゲルスへ入団する。

吉田孝行のプロ入り後

吉田は1995年4月8日清水エスパルス戦でJリーグデビューを果たす。

日本代表の前園真聖や、元ブラジル代表のジーニョ、エバイールなど攻撃的なポジションにはライバルが多くいたが吉田は途中出場などで出場機会を掴み初年度からリーグ戦28試合に出場し3ゴールをマークした。

しかし翌年はリーグ戦2試合の出場に留まり、それ以降もリーグ戦ではレギュラーを獲得するまでは至らなかった。

しかし前述の通り、天皇杯ではエース級の活躍を見せ1997年は4試合で3得点、1998年については5試合で7ゴールを挙げ天皇杯制覇の立役者となった。

1999年、フリューゲルス消滅後は横浜Fマリノスへ移籍。2シーズン在籍するも、出番に恵まれず2001年からはJ2の大分トリニータへ移籍。

大分では中心選手として活躍し、加入2年目にはキャリアハイとなるシーズン15得点を挙げる
。3年目にも9得点を挙げ大分のJ2優勝とJ1昇格に貢献した。

その後も大分では得点は少ないながらも前線から積極的にチェイスを仕掛けるなど精力的な動きを見せる。また攻撃的なポジションなら何処でもこなすユーティリティ性も発揮しレギュラーとして6シーズンプレーした。

2006年には古巣の横浜Fマリノスへ復帰を果たし開幕戦では前年まで右サイドのレギュラーだった田中隼磨からスタメンの座を奪った。4月29日の広島戦では、復帰後初ゴールとなる決勝ゴールを後半ロスタイムに決めて勝利に貢献した。

2008年からは地元であるヴィッセル神戸へ移籍。

2008年は序盤に右膝を痛めていたエースの大久保嘉人が手術を受け、3月にはFWレアンドロも右鎖骨を骨折するなど苦しいチーム状況の中で吉田は貴重な攻撃のピースとして活躍。リーグ戦30試合に出場し5得点を挙げた。

2010年には降格争いに巻き込まれる苦しいシーズンとなったがアウェーのガンバ大阪戦、そして最終節アウェー浦和レッズ戦で2点を挙げる活躍を見せチームを残留に導いた。

2011年からキャプテンを務め、J1では自己最多9得点を挙げヴィッセル神戸はクラブ史上最高順位となる9位でシーズンを終えた。

しかし2012年、野沢拓也、田代有三、橋本英郎、高木和道ら代表経験メンバーに加え、現日本代表の伊野波雅彦が加入するなど積極的な補強をするが攻守の歯車が噛み合わずJ2に降格。吉田自身もシーズン通して1得点に終わるなど課題の残るシーズンとなった。

2013年はJ2での戦いとなったがシーズンを通して出場機会は少なくリーグ戦12試合の出場に留まった。しかしホーム最終戦で自身のプロ最後のゴールを決めるなど相変わらずの勝負強さを見せた。

2013年10月、このシーズンを持って現役を引退した。

吉田の引退後と現在

吉田は引退後、2015年に古巣であるヴィッセル神戸のコーチに就任。

2016年からはヘッドコーチを務め、監督解任によりシーズン途中で監督を2度務めている。

2019年シーズンはイニエスタ、ビジャ、ポドルスキーといったワールドクラスの選手達を指揮する日本人監督として注目を集めた。

吉田孝行は現役時代、記録より記憶に残る選手だった。

前線から献身的に動き回り、どんなに劣勢でも試合を諦めないメンタルが吉田にはあった。

横浜フリューゲルス最後のゴール、ヴィッセル神戸残留を決定づけるゴールなどサポーターの記憶には吉田孝行のゴールはいつまでも鮮明に残り続ける。

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