Jリーグの歴史を振り返っても多くの韓国人Jリーガーが誕生しているが、得点王のタイトルを獲得したのはこの男だけだった。
黄善洪(ファンソンホン)。1990年代に活躍したストライカーだ。
1988年に韓国代表に初選出されると1994年の広島アジア大会得点王、4度のワールドカップ出場、そして1999年のJリーグ得点王など多くの功績を残した。観光代表として103試合に出場し50得点を挙げるなど黄善洪は韓国サッカー史に名を残す偉大なFWである。
Jリーグではセレッソ大阪や柏レイソルでプレー。セレッソ大阪では得点王を獲得するとチーム史上初の年俸1億円プレーヤーとなった。浮き球に対する反応速度と優れたボディバランスから放たれるシュートは強力で、Jリーグ通算70試合で42ゴールを叩き込んだ。そのゴールへの執念は凄まじく、黄善洪はアジアの虎と呼ばれた。
黄善洪(ファンソンホン)のJリーグ入り前
黄善洪は1968年に韓国の忠清南道礼山郡に生まれた。親の仕事の都合で転向を繰り返すが小学校5年生の時に友人の誘いでサッカーを始めた。
龍文中学、龍文高校を経て、建国大学に進学。
建国大学では2年時に1988年ソウル五輪代表に選出。同年12月のアジアカップで韓国代表に初選出された。 同年のアジアカップの日本代表戦で韓国代表デビューを飾るとこの試合で初得点をマーク。
1990年には韓国代表としてイタリアワールドカップに出場。
黄善洪は大学卒業後にプロ新人ドラフトを拒否しドイツへ渡り、バイエル・レバークーゼン・アマチュアへサッカー留学をする。翌年にはヴッパーターラーSVボルシアへ加入し2シーズンプレーするがブンデスリーガへの昇格は出来なかった。1992年には靭帯断裂の大怪我を負う。
1993年にドラフトで完山ピューマ(現・全北現代モータース)に指名される。その後、トレードで浦項スティーラースに入団。 韓国代表でともにプレーする洪明甫(ホンミョンボ)とチームメイトになった。
1994年にアメリカワールドカップへ出場。グループリーグで敗退するもののドイツ戦では1ゴールを挙げる活躍を見せた。また同年行われたアジアカップ広島大会では韓国のエースストライカーとして活躍。ネパール戦では前半だけで8ゴールを奪うなど躍動しこの大会の得点王となった。
その後も浦項スティーラースで活躍し1998年フランスワールドカップメンバーへ選出されるが膝の負傷により1試合も出場することが出来なかった。
1998年、シーズン途中にJリーグのセレッソ大阪からオファーを受け入団を決意する。
1998年9月15日2ndステージ第5節ガンバ大阪との大阪ダービーでJリーグ初出場。西澤明訓とツートップを組んだ。
続く第6節横浜マリノス戦で初ゴールを決めるとここから3試合連続でゴールを決める。この年最終節のアビスパ福岡戦では2ゴールを決め2-0での勝利に貢献。この年はリーグ戦11試合に出場し6ゴールの成績だった。
1999年、黄善洪はセレッソ大阪初の年俸1億円プレーヤーとなる。西澤明訓、森島寛晃と形成したトライアングルで得点を量産し、8月18日の2ndステージ第3節ジュビロ磐田戦から第7節ガンバ大阪戦までの5試合で8得点を記録。第9節のヴィッセル神戸戦ではハットトリックを達成するなどしリーグ戦25試合で24得点を記録。黄善洪は得点王のタイトルを獲得しJリーグベストイレブンに選出された。
2000年に韓国へ復帰するが思うように活躍できず、2000年5月に柏レイソルに移籍。
柏では洪明甫とともにプレー。2001年には柳想鐵(ユサンチョル)も柏へ加入し、韓国代表3人が揃う戦力となったが、怪我などもありセレッソ時代程のインパクトは残せず2002年前半戦終了後にレイソルを去った。
韓国代表としては2001年にFIFAコンフェデレーションズカップでブロンズシュー賞を受賞。2002年の日韓ワールドカップにも出場し韓国のベスト4入りに貢献した。
2003年にKリーグの全南ドラゴンズへ復帰。しかし怪我の状況が思わしくなく2003年に引退をした。
黄善洪(ファンソンホン)の引退後と現在
黄善洪は引退後、指導者の道へ進み、2007年からは釜山アイパークの監督に就任。
2011年からは古巣である浦項スティーラースの監督を務め、2015年まで指揮を執った。
その後はFCソウルの監督を経て中国甲級の朝鮮人系クラブである延辺富徳足球倶楽部の監督に就任するがクラブの経営破綻に解任されている。
2014年には古巣のセレッソ大阪へ監督として復帰する可能性が高いとメディアで騒がれたが実現することはなかった。
現在はフリーの状態であるが国際経験が豊富で韓国代表としても貢献度が高い黄善洪は将来の韓国代表の監督候補として期待されている。
かつてアジアの虎と呼ばれ韓国サッカーの一時代を築いた黄善洪。指導者として日本の好敵手となる日がくるのだろうか。勝利への飽くなき探求心をもった男は味方にいると心強いが敵に回すとこれほど手強い存在はない。