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馬場憂太の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【280回】

優れたシュート技術と天才的なパスセンスを持つゲームメーカー馬場憂太。

FC東京ユースからのプロ昇格第一号選手として注目を集め、開幕戦がら出場を果たす。

その独創性溢れる巧みなパス配給能力は同年代の選手で群を抜いており、U19日本代表、U20日本代表の主力としてプレー。将来の日本代表入りを嘱望された。

しかし両膝の半月板損傷など、多くの怪我に泣かされる。海外に活路を見出すも日本代表に召集されることなく29歳の若さで現役生活にピリオドを打った。

馬場憂太のJリーグ入り前


馬場は1984年に東京都板橋区に生まれた。当初は野球をしていたが小学3年からサッカーを始め三菱養和SSで中学卒業までプレーする。

中学3年時、静岡学園高校サッカー部のセレクションに合格。同時に当時Jリーグ加盟が決定していたFC東京からも誘いを受ける。馬場は高校サッカーとクラブユースで進路に迷うも練馬工業高等学校に通いながらFC東京ユースでサッカーを続ける選択をした。FC東京ユースの同期には尾亦弘友希、石川高大、来栖由基、高橋延仁らがいる。

FC東京ユースでは主力として活躍。クラブユース選手権で全国優勝、U-18高円宮杯、Jユースカップで準優勝を果たし、クラブユース選手権ではMVPを獲得する。

2002年、馬場は高校卒業後に尾亦弘友希と共にトップ昇格を果たす。FC東京下部組織から第1号のプロサッカー選手だった為、この昇格は注目を集めた。

馬場憂太のJリーグ入り後

馬場は高卒ルーキーながら、2002年3月2日開幕戦である鹿島アントラーズ戦でベンチ入りを果たすと79分に佐藤由紀彦と代わりJリーグ初出場を果たした。

この年はリーグ戦8試合に出場。U-19日本代表にも選出され、アジアユースに出場。FC東京からは馬場の他に鈴木規郎が選出されている。

2003年には出場停止を除いた1stステージの全試合に出場するも、右膝の状態が悪化し手術を決行。2ndステージは1試合のみの出場に留まりワールドユース本戦は断念している。

2004年からは背番号14を背負う。11月3日ナビスコカップ決勝浦和レッズ戦ではPK戦のキッカーを務め、クラブ初のビッグタイトル獲得に貢献。

2005年は左膝の手術を行う。リーグ戦20試合に出場し4ゴールを挙げるもシーズンを通して満足に活躍することは出来なかった。

2006年はガーロ監督の元、梶山陽平石川直宏とのコンビネーションで中盤で存在感を発揮する。途中交代も多かったがリーグ戦22試合に出場した。

2007年は先発での出場機会が減り、リーグ戦出場も16試合に留まるとこの年限りでFC東京を退団。

2008年、ジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍する。

ジェフでは第2節の清水エスパルス戦で先発出場をするも前半30分に途中交代。その後もコンスタントに出場するがジェフは開幕から12戦未勝利と低迷。馬場は徐々に出場機会が減少、ベンチ入りからも外され出場機会を失った。

同年8月、J2のモンテディオ山形へレンタル移籍。

山形では豊田陽平、長谷川悠の大型ツートップの下やボランチとしてもプレー。急所を突くスルーパスでアクセントを加え山形の攻撃を支える。山形はこの年J1昇格に貢献する。

その後、移籍期間満了で2009年2月にジェフに戻るも出場機会はなく退団。

2009年8月に練習生期間を経て東京ヴェルディへ入団。シーズン終盤からの合流で結果を残せず、リーグ戦3試合の出場に留まると同年限りで退団する。

ヴェルディを退団後、欧州を中心に所属クラブを模索。ドイツ・ブンデスリーガ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフの練習に参加するなどしたが契約には至らなかった。

長らく無所属状態が続いたが、2011年7月にKリーグの大田シチズンへ入団。

Kリーグ特有のフィジカルコンタクトの強さに苦しみながらも、決定的なパスを出せる司令塔として活躍。リーグ初得点を挙げた第30節では同節のベストイレブンに選出される。
2012年にはボランチとしてレギュラーに定着。キャリアハイとなるリーグ戦30試合に出場し4ゴールをマーク。

2013年、大田シチズンとの契約満了により退団。現役を引退した。

馬場憂太の引退後と現在

馬場は引退後、「LUPINUS(ルピナス)サッカースクール」というジュニア向けスクールを立ち上げ指導を行っている。現在は2017年に開校した川崎に続き福岡でもスクールを展開している。

馬場憂太は若い頃から高度な技術と天性のセンスで将来を嘱望された。U20日本代表では長谷部誠とともにプレーをしたが、当時は長谷部よりも注目度は高かった。怪我に苦しみ思うような結果を出せないプロ生活を送ることになったが、もがき苦しんだからこそ伝えられる言葉がある。

子供たちに直接指導する為に毎週、福岡と川崎を往復する生活を送っている馬場憂太。かつて天才と呼ばれた男はその技術と経験を若い世代へ継承していく。

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