MF

石川直宏の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第113回】

右サイドでボールを受け取ると矢のような速さで相手陣内に切り込んでいく。

石川直宏の縦へのドリブルは、分かっていても止められない。

爆発的スピードとキレのあるドリブル突破で幾度となくチャンスを演出し、時には自身で中央に切り込んでシュートを打つことも出来る。

特に2009年はリーグ戦24試合に出場し15得点を挙げ、5年半ぶりに日本代表に復帰するなど石川直宏にとって特別な年になった。

跳ねるように疾走する石川直宏のスプリントは理屈抜きで美しい。

日本トップレベルのウィンガーとして活躍した天性のスピードスター、石川直宏に迫る。

石川直宏のプロ入り前


石川は1981年に神奈川県横須賀市に生まれた。

5才の時にボールを蹴り始め、地元の少年少女のサッカークラブである「横須賀シーガルズ」に入団。

活動は平日1回の体育館練習と週末の練習試合だけだったが、時間があれば、公園などで仲間や弟たちと遊びがてらボールを蹴っていた。

小学校2年の時にはプロサッカー選手の夢を持つようになる。

石川の所属していたシーガルズの指導方針は、小学校中学年まではパスは禁止、ドリブルで行けるところまで行くというものだった。

そこで石川はドリブルの楽しさと技術を磨き、負けず嫌いの性格も手伝ってみるみるうちに上達していく。

石川はシーガルズで頭角を現すと、横須賀市選抜、神奈川県選抜と順調に階段を駆け上がり、5年生で関東選抜入りも果たした。

小学校6年時にはU12代表に選出。将来のJリーグの中心選手となる山瀬功治や駒野友一、森崎和幸、森崎浩司、野沢拓也などと出会い刺激を受ける。

横須賀市立野比中学校に進学するとマリノスジュニアユースに所属。

電車やバス、自転車を乗り継ぎ、片道1時間以上かけて練習グラウンドのある追浜まで往復する日々を送った。

同級生に比べて小柄だった石川は両親の協力もあり食生活から気をつけるようになり、高校入学の頃には身長もグッと伸びる。

横須賀高校へ進学し、マリノスユースへ昇格した石川は大橋正博や鈴木達也など、さらにクオリティの高い選手たちとともにプレーをした。

この頃、石川はトップ下でプレーしていたが、横浜マリノスユース監督の樋口靖洋により右サイドへコンバートされる。

不慣れなポジションに最初は戸惑いを見せるも徐々に慣れ、アタッカーとしての能力を磨いていく。

翌年の2000年、高校を卒業した石川は横浜Fマリノスのトップチームに昇格する。

石川直宏のプロ入り後

石川は背番号28を与えられ、2000年4月1日の1stステージ第4節鹿島アントラーズ戦でJリーグデビューを果たす。

このシーズンはリーグ戦2試合の出場に留まったが、U-19日本代表に選出され、アジアユースに出場を果たした。

翌2001年にはU-20日本代表としてワールドユース アルゼンチン大会に背番号10を背負って出場。グループリーグで敗退するも、鋭い切り込みでゴールへ迫る姿勢は高い評価を得た。

しかしマリノスでは出場機会に恵まれず、チームの成績も低迷、監督交代が相次いだ事もあり石川はレギュラーに定着出来ずにいた。

2001年もリーグ戦13試合の出場に留まると石川は出場機会を求めて2002年4月にFC東京へレンタル移籍する事になる。

FC東京に加入した石川は加入早々にレギュラーに定着。

同じく移籍してきた右サイドバック加地亮とのコンビで右サイドを制圧し、チャンスを量産した。

この年はU-21日本代表としてもプレーし、10月の釜山アジア大会では準優勝に貢献した。

2003年にFC東京へ完全移籍を果たすと、リーグ戦29試合に出場し5得点を挙げる活躍を見せる。

この年、初めてフル代表に選出された石川は東アジア選手権の香港戦で日本代表デビューを果たした。

2004年にはオールスター戦に初選出され、ゴールを決めた石川はMVPを受賞した。

順風満帆に思えた矢先、石川に悲劇が起こる。

2005年9月の横浜Fマリノス戦で、右膝前十字靱帯と外側半月板損傷の重症を負い、全治8ヶ月の診断が降る。

壮絶なリハビリ生活を送り、2006年7月のアビスパ福岡戦で305日ぶりの復帰を果たし自己最多タイの5得点を記録。

2007年、2008年は共にリーグ戦20試合以上出場を果たし、2009年には自身初のハットトリックを達成するなど序盤から得点を量産。

平山相太のポストプレーや羽生直剛の労を惜しまない運動量といったチームメートとの長所が噛み合い、石川自身のサイドに張り付くスタイルから中央に切り込んでシュートを狙いにいくスタイルへの変更がはまる。

10月には約5年半ぶりに日本代表に招集され、岡田武史監督からはワールドカップを見据えての切り札としての可能性を示唆された。

この年、石川はJリーグベストイレブンに初選出された。

2010年は怪我の影響もあり、ワールドカップ日本代表には漏れ、予備登録選手に留まる。所属するFC東京もJ2降格となるなど苦しいシーズンとなった。

2011年はJ2を圧倒的な強さで制覇し、1年でJ1復帰を果たすと2012年にはザッケローニ監督から日本代表に選出され、セルビア戦で出場を果たした。

2013年からは出場機会が減り、2014年には椎間板ヘルニア、2015年には左膝前十字靱帯断裂という大怪我を負い、2016年は遂にプロ初となるリーグ戦出場0に終わる。

2017年に12月2日、最終節のガンバ大阪戦で今季初出場を果たすもこのシーズン限りでユニフォームを脱ぐ事になった。

石川直宏の引退後と現在

石川は引退後、2018年1月、FC東京クラブコミュニケーターに就任。

2018年3月には日本サッカー協会不服申立委員会委員に就任した。

石川直宏は2度の大怪我があったものの、17年間走り続けたプロサッカー人生を送った。

特に1度目の大怪我から復帰した後の2009年の石川直宏は神がかり的な活躍をした。

日本代表に復帰し、生粋の右ウィンガーとして切れ味鋭く気持ちのいいくらいドリブルで抜き去っていった石川直宏の姿に翌年のワールドカップでの活躍を期待した人も多いと思う。

石川直宏が見せた輝きと可能性は今後どれだけ時間が流れても色褪せることはない。

選手一覧