沖縄県名護市初のJリーガー比嘉祐介。
豊富な運動量を武器に敵陣深くまで攻めあがってクロスを上げる攻撃型左サイドバックだ。
流通経済大学時代は山村和也と共にU23日本代表に選出。ロンドンオリンピック日本代表へは選出されなかったもののチームメイトへ約8分間の自作応援DVDを製作し裏方として支えた。
比嘉の人柄の良さと前向きな性格は広く知られ、所属したJリーグの4チームでは試合に出れなくともチームを盛り上げるムードメーカーとして重宝された。
比嘉祐介のJリーグ入り前
名護市立大宮小学校(名護ワイルド・ボー)に入学。中村俊輔や中田英寿に憧れて10歳でサッカーを始めた。
地元名護市立大宮中学校を卒業後、親元を離れ流通経済大学付属柏高等学校へ進学。同級生に大前元紀と中里崇宏、一学年後輩に田口泰士、久場光がいる。この頃からプロを目標に練習に励むようになる。
高校3年時には、高円宮杯全日本ユース選手権、全国高校選手権の2冠を達成するなど活躍した。
2008年流通経済大学へ進学。
ユニバーシアード日本代表に2009年、2011年と継続して召集され、2010年アジア競技大会では日本代表メンバーとして、金メダルを獲得した。
比嘉祐介のJリーグ入り後
2012年横浜マリノスへ入団。比嘉は名護市から初のJリーガーとなった。
入団当時マリノスのキャプテンを務めていた中村俊輔とは公私共に親しくなり、2013年リーグ戦出場は0分、ベンチ入りした試合もわずか2試合であったがマリノス優勝争いの中、主力選手であったストレスの多かった中村俊輔の癒しの存在となるなど比嘉にしかできない役割を果たしチームを陰ながら支える。
2014年京都サンガF.C.に期限付き移籍。
開幕戦のギラヴァンツ北九州戦でゴールを決め、念願のJリーグ公式戦初ゴールを記録。豊富な運動量と積極的な攻め上がりでサンガのチャンスを演出。このシーズンはリーグ戦18試合に出場を果たした。
2015年に横浜Fマリノスに復帰するも出場機会に恵まれずこの年限りで退団。
2016年ジェフユナイテッド千葉に完全移籍。
2017年、リーグ戦出場は8試合に留まり無得点だったが、J2 第41節vs名古屋グランパス戦(3-0勝利)、最終節vs横浜FC戦(2-1勝利)という終盤の大事な試合に2試合連続で先発出場し、J1昇格プレーオフ進出に貢献。また昇格を決めた名古屋グランパスの準決勝では2-4で敗れるもフル出場を果たした。
2018年東京ヴェルディに完全移籍。ロティーナ監督から攻撃力を期待されるも怪我の影響もありリーグ戦では出場機会を掴めず天皇杯に1試合出場したのみに終わる。
このシーズン終了後にヴェルディを退団、現役引退が発表された。
比嘉祐介の引退後と現在
比嘉は引退後、サッカークリニックの開催や古巣であるマリノスのゲームにてスタジアム内の飲食店の一日店長を務めるなど様々な事に挑戦中だ。
プロサッカー選手としては順風満帆ではなかった比嘉祐介だが、ここまでサポーターや選手に愛された選手も珍しい。
三浦知良主催のバーベキューにも中村俊輔や松井大輔ら日本を代表する選手達と参加しているのも比嘉の人間性を考えれば違和感はない。
試合に出れなくとも常に明るく前向きな姿勢でチームを支えた比嘉祐介は試合記録に残らなくともチームにとって大きな影響を与えた偉大な存在だったのであろうと思う。