FW

川口信男の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第117回】

右サイドを主戦場に快速を生かしたドリブルが得意な川口信男。

川口信男はジュビロ磐田やFC東京で攻撃にアクセントをつけるジョーカーとして活躍した。

Jリーグ1年めのシーズンに出場したナビスコ杯決勝では2ゴールを挙げ、MVPを獲得。

中山雅史や高原直泰ばかりが目立つ黄金期のジュビロ磐田のFWだが、川口信男がもたらした功績は大きい。

新潟が生んだスピードスター、川口信男に迫る。

川口信男のプロ入り前


川口は1975年に新潟県三条市に生まれた。

三条市立井栗小学校の時に兄の影響でサッカーを始め、井栗FCに所属した。

三条市立第四中学校卒業後、新潟工業高校に進学。

強豪である新潟工業にいながら川口は高校進学間もなく出番を得ると全国高校サッカー選手権に出場。

新潟工業は初戦で惜しくも高知農業にPK戦の末に敗れてしまうが、川口の評価は高かった。

また高校時代には新潟県選抜として国体に2回出場。川口は大会優秀選手に選出された。

高校卒業後の1994年に順天堂大学に進学。

後にジュビロ磐田でもコンビを組む名波浩のパスの受け手となり、関東大学リーグ新人賞を受賞する。

大学4年時には関東大学リーグベストヒーロー賞を受賞し、ユニバーシアード日本代表に選出。

ユニバーシアード日本代表では背番号11をつけ、盛田剛平(サンフレッチェやヴァンフォーレなどで活躍)と2トップを組んだ。

1998年、大学を卒業した川口は先輩である名波浩が所属するジュビロ磐田に入団する。

川口信男のプロ入り後

川口はルーキーイヤーながらリーグ戦20試合に出場し3得点を挙げる。

同年に開催されたナビスコ杯決勝のジェフ千葉戦では背番号13をつけ先発出場。

高原直泰と2トップを組み、後半6分、36分と立て続けに得点を挙げ4-0の勝利に貢献。

この殊勲の活躍により川口はナビスコカップMVPに選出された。

2000年以降は主に右サイドのアタッカーとして使われることが増える。

中山雅史、高原直泰の牙城は崩せずスタメン出場は少なかったものの、ジュビロ磐田黄金期のスーパーサブとして活躍。

2001年7月7日の横浜Fマリノス戦では右サイドを駆け上がり絶妙なクロスで高原直泰のVゴールをアシストし、ジュビロ磐田の1stステージ制覇を決定づけた。

その後も攻撃のアクセントとして途中出場を続けるが、2004年、2005年と両年ともリーグ戦8試合の出場に留まり、出場機会を求めて2006年にFC東京へ移籍。

FC東京にはルーカス、リチェーリ、ササ・サルセード、赤嶺真吾、阿部吉朗などがおり、ここでも先発出場は限られたが、川口は持ち前のスピードとドリブルテクニックを生かし出場機会を獲得する。

移籍1年目は24試合に出場し3得点を挙げた。

2007年は全試合ベンチ入りを果たすも無得点に終わり、契約終了となるも天皇杯での好プレーやポジションの重なる選手の退団により再契約を獲得。

2008年もスーパーサブとしてベンチ入りを続けるも、リーグ戦の出場は7試合に留まりこの年限りで川口はユニフォームを脱いだ。

川口信男の引退後と現在

川口は引退後、2009年にFC東京の普及部コーチに就任。

2013年から2年間トップチームのコーチを務め、2015年からはジュビロ磐田の下部組織でコーチを務めた。

2022年からは栃木SCの下部組織で指導を行っている。

スピードスターとして名を馳せた川口信男だが、練習に真摯に取り組む姿勢やサポーターを大切にする人柄から引退した今も尚、ファンは多い。

現役時代、出番が短くても、限られていても、自分の揺るぎない武器で無骨に勝負を仕掛け続ける川口信男がピッチサイドに立つと大きな歓声が湧いた。

何かをやってくれる、そんな空気が川口信男からは漂っていた。

選手一覧