Jリーグ通算217試合出場、124得点。
日本の地で猛威を奮ったウェズレイは9シーズンと少し在籍したJリーグで実に8度のハットトリックを記録している。
類稀なる得点感覚はJリーグの中においてもトップレベルであり、数いる助っ人外国人の中でもその実績はずば抜けている。
強靭な肉体から繰り出させる地を這うような強烈なシュートだけではなく、正確なフリーキックや足の速さも大きな武器だ。
猛犬という愛称で親しまれたウェズレイに迫る。
ウェズレイのJリーグ入り前
ウェズレイは1972年にブラジル北東部の大西洋岸にある港湾都市サルヴァドールに生まれた。
ウェズレイは13歳になった1985年から地元のバイーア州にあるECバイーアの下部組織に所属する。
ECバイーアで20歳までの7年間を過ごしたウェズレイは1993年、ようやくトップチームに昇格することでプロとしてのキャリアをスタートさせた。
しかしトップチームに昇格した後も出場経験はなく、ECバイーアを離れてフラメンコ、グアラニ、クルゼイロとクラブを転々とするが、それでも出場機会は訪れなかった。
1996年、5クラブ目になるサンパウロで数試合出場機会を得るもののレギュラーとは言えず1998年に古巣であるECバイーアに戻ることになる。
ウェズレイは既に26歳になっていたが、この年ウェズレイは開花する。
この年にはカンピオナート・バイアーノMVP、そして得点王の二冠を達成。
1999年にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエBという2部リーグながら得点王、2000年には再び、カンピオナート・バイアーノMVP、そして得点王の二冠を達成するなど目覚ましい活躍を見せる。
この活躍により海外リーグからいくつかスカウトが来るようになったウェズレイは、その中で熱心に声をかけてきた名古屋グランパスへの入団を決意する。
ウェズレイのJリーグ入り後
ウェズレイが加入する直前の名古屋グランパスエイトは得点力に悩まされていた。
現役日本代表であり、チームの主力だった望月・大岩・平野の3人が当時の監督であるジョアン・カルロスとの確執からシーズン途中にして突如「解雇」を言い渡され、エースストライカーのドラガン・スコイトビッチが孤立するという状態だった。
そんな中、救世主の如く現れたウェズレイは、スコイトビッチとのコンビで得点を量産。シーズン途中の遺跡の為、リーグ戦の出場はわずか9試合に留まったものの7得点を挙げる活躍を見せた。
翌年の2001にストイコビッチは引退するもののウェズレイの活躍は止まらない。
2001年から3年連続で20得点を挙げるなど、ストイコビッチに代わる名古屋グランパスのストライカーとして名を馳せた。
ウェズレイは強烈なシュートだけではなく、重戦車のようなドリブル、滞空時間の長いヘディングなどストライカーとしての能力はどれもトップレベルであり、2003年には名古屋グランパスからは初となるJリーグ得点王を獲得した。
ウェズレイの得点数は年々凄みを増していき、2004年の11月にはアルシンドが持っていた外国人の通算得点記録を更新。この記録は現在、マルキーニョス(元鹿島など)に次ぐ記録だ。
しかし2005年、当時の名古屋監督であるネルシーニョと自身の起用法を巡って衝突、その後クラブ批判にも発展し謹慎処分を受ける。
結局ウェズレイは開幕戦1試合に出場したのみで退団し、ECバイーアへ戻ることになった。
ウェズレイのJリーグへの復帰
ウェズレイは古巣のECバイーアに戻るが、出場機会に恵まれずアトレチコ・ミネイロに移籍。
しかし、2006年以降は在籍クラブが決まっていないという状況だった。
そこでウェズレイはサンフレッチェ広島から半年間のレンタル移籍というオファーを受け、日本へ戻ってくることになる。
サンフレッチェでは佐藤寿人と2トップを組み、ゴールを量産。
リーグ戦27試合に出場し16得点を挙げる。
2007年には史上3人目、外国人選手としては史上初となる通算100ゴールを記録。
この通算100ゴールは148試合目の達成だったため、Jリーグ史上最速記録にもなった。
翌年も29試合に出場して17得点を挙げるなど相変わらず高い得点能力を見せつけるも、サンフレッチェはこの年、J2に降格。
ウェズレイはJ1の大分トリニータへ移籍した。
ここでもウェズレイは抜群の存在感を見せて、ナビスコカップの決勝戦でも得点をマークしてクラブの優勝に貢献した。
ウェズレイは大分トリニータで2シーズンプレー。その後、2010年にECバイーアに戻るもこの年限りで現役を引退した。
ウェズレイの引退後と現在
ウェズレイは引退後の2011年、古巣ECバイーアにコーチとして復帰する。
2012年にはバイーア州4部のECジャクイペンセのコーチに就任するなど現在でもブラジル国内で指導者の道を歩んでいる。
在籍したどのチームにおいてもウェズレイは得点を量産し、チームの戦術に欠かせない選手となった。このことからウェズレイをJリーグ史上最強のストライカーと呼ぶ人も多い。
猛犬の勇姿は今もなお、人々の記憶に残り続ける。