スピードに乗ったオーバーラップと絶妙なクロスを武器としたサイドバックとして活躍した菊池利三。
主に左サイドバックを主戦場としたが、右サイドバックもこなせる器用さもあり、粘り強い守備とタイミングの良い攻め上がりで幾度となく得点に絡んだ。
アトランタオリンピック出場を目指したU23日本代表にも選出され、アジア予選突破に貢献。
実兄である菊池新吉とともにヴェルディ川崎を盛り上げた菊池利三に迫る。
菊池利三のプロ入り前
幼い頃に父を亡くし、貧しい家庭で育つも兄である新吉の影響でサッカーを始める。
遠野中学校卒業後、地元の名門である遠野高校へ進学。
同学年には菊池直喜(元ジュビロ磐田など)がいた。
高校時代は恵まれた身体能力を生かし、アタッカーとして活躍。
高校2年の時に第69回全国高校サッカー選手権に岩手県代表として出場。
1回戦では米子北高校を4-0で敗るも、2回戦で宇都宮学園にPK戦の末、敗れた。
高校卒業後、兄である新吉が進んだヴェルディ川崎へ入団する。
菊池利三のプロ入り後
菊池はヴェルディ入団後、3年間は厚い選手層もあり無出場に終わる。
しかし、1995年開幕戦のベルマーレ平塚戦でベンチ入りを果たすと、サントリーシリーズ第25節の浦和レッズ戦でJリーグデビュー。
ニコスシリーズ第14節の横浜マリノス戦では前半39分にはJリーグ初ゴールをマーク。菊池のゴールは貴重な先制点となり4-1での勝利に貢献した。またこの年、6つ上の兄、新吉とともにピッチに立った。
当時、ヴェルディには都並敏史というそれまで不動の左サイドバックがいたがニコスシリーズからは菊池利三が起用される試合が続いた。
この年はリーグ戦24試合に出場し1得点を記録。ヴェルディのセカンドステージ優勝に貢献した。
翌年の1996年にはアトランタオリンピック出場を目指すU23日本代表に選出。
アジア最終予選に出場し、本大会には予備登録メンバーとして選出された。
しかし1996年には出場機会が減少。リーグ戦12試合の出場に留まり、翌年には出場機会を求めてガンバ大阪へ移籍。
1997年シーズン途中にヴェルディへ復帰するも、その後はサンフレッチェ広島、ガンバ大阪、大宮アルディージャと複数のチームを渡り歩いた。
2000年シーズン途中に、ヴェルディ川崎へ復帰。
全盛期のヴェルディを知る貴重なベテランとしてチームを牽引し、サイドバックのみならずボランチとしても活躍した。
そして2002年シーズン終了後、11年の現役生活にピリオドを打った。
菊池利三の引退後と現在
菊池利三は引退後、故郷である岩手にあるヴェルディSS岩手花巻U-18の監督に就任。
2009年からはナショナルトレセンでユース世代の指導を行い、2017年からはグルージャ盛岡の監督を務め、その後はゼネラルマネージャーを担った。
2023年1月12日には、レイラック滋賀FCのヘッドコーチに就任した。