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曹貴裁(チョウキジェ)の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第155回】

状況判断に優れたストッパーとして、柏レイソル、浦和レッズ、ヴィッセル神戸で活躍したDF曹貴裁(チョウキジェ)。

浦和では元ドイツ代表のブッフバルトと共にDFラインを形成。Jリーグ通算70試合に出場した。

チョウキジェは身長は177センチと高くはないが、恵まれた身体能力を生かしたマンマークの強さに定評があった。

現在は湘南ベルマーレの監督として知られるチョウキジェに迫る。

曹貴裁(チョウキジェ)のプロ入り前


チョウキジェは1969年に京都府京都市左京区に在日韓国人三世として生まれた。

大原小学校4年生の時にサッカーを始める。

韓国人学校の要職についていた父親の影響で韓国中学校に進む可能性があったが、韓国中学校にはサッカー部がなく、小学校の時にサッカーを共にしていた仲間達からの誘いにより大原中学校へ進学する。

大原中学校サッカー部で活躍後、京都府立洛北高校へ進学。

洛北高校時代は全国高校サッカー選手権への出場は叶わなかったが京都府選抜に選出され国体に出場している。

高校卒業後、早稲田大学に入学してア式蹴球部に入部。大学4年時には副キャプテンを務めた。

大学4年時にはJリーグが出来るという世間の動きがあったが、チョウキジェはプロ入りは考えず、会社員となり実業団に入りサッカーを続ける道を模索した。親からもプロ入りについては反対を受けていた。

チョウキジェは大学卒業後、日立製作所に入社。

宣伝部に配属されたチョウキジェは午前中に新御茶ノ水駅から近い日立製作所本社で勤務し、午後は柏市内のグラウンドへ移動しチーム練習に励む日々を送った。

日立製作所サッカー部では1年目から出場の機会を与えられ、リーグ戦16試合に出場した。

その後も日立ではレギュラーとした起用されるも日立は1993年のJリーグ入りを果たせなかった。

そんな中、浦和レッズからオファーが届く。

日立に残るなら社員のままで、プロになるなら会社から離れようと考えていたチョウキジェは、高校や大学で一緒にプレーしたり対戦したりした選手がプロになっていく姿に刺激を受け浦和レッズへの移籍を決断する。

曹貴裁(チョウキジェ)のプロ入り後

チョウキジェは1994年3月12日サントリーシリーズ第1節の横浜マリノス戦でJリーグデビューを果たす。

堀孝史田口禎則、杉山弘一と4バックを形成し、ストッパーとして起用された。

しかし1994年の浦和レッズは前年度に引き続き勝ちきれない試合が続く。

シーズン途中には元ドイツ代表のブッフバルトを獲得し、チョウキジェはブッフバルトとセンターバックを組みDFの立て直しを図るもこのシーズンは浦和は僅か6勝しか挙げられずに2年連続で最下位に沈んだ。

1995年シーズンも開幕戦の横浜フリューゲルス戦からスタメン出場を果たす。

ブッフバルトとの強固なDFラインも安定し、浦和レッズはサントリーシリーズ3位に入る躍進を見せた。

しかし若手の土橋正樹の台頭やエスパルスから期限付き移籍で来たFWトニーニョのDFへのコンバートもあり、NICOSシリーズは殆ど出場の機会が無かった。

1996年、チョウキジェはJFLのヴィッセル神戸へ移籍。

バクスター監督の元、元デンマーク代表のラウドルップや元日本代表の永島昭浩神野卓哉和田昌裕などタレントが揃ったヴィッセル神戸はJFLで別格の強さを見せ、Jリーグに昇格。

1997年は再びJリーグでのプレーとなるもリーグ戦5試合の出場に留まり、チョウキジェはこのシーズン限りで引退を表明した。

曹貴裁(チョウキジェ)の引退後と現在

チョウキジェは引退後、ドイツのケルン体育大学へ留学。

2000年から川崎フロンターレ、2004年からはセレッソ大阪、2005年からは湘南ベルマーレにてトップチームやユースのコーチを歴任。

2012年からは湘南ベルマーレの監督に就任。

2020年からは京都サンガの監督を務めている。

初めて同一チームをJ1へ3度昇格させた指揮官となったチョウキジェは、ご存知の通り現在のJリーグにおいて最も注目を集める監督の1人だ。

とにかく「走り負けない」、「全員が連動する」、「粘り強く最後まで戦い抜く」。チョウキジェの方針は湘南スタイルという言葉と共に定着し、Jリーグで強烈なインパクトを残している。

勝敗だけではなくプラスアルファの付加価値を選手やJリーグファンに与え続けているのはチョウキジェが指導者として優秀という理由だけでなく、揺るがない哲学があるからであると感じる。

元日本代表の岡田武史監督はチョウキジェについて「まっすぐな男が正面からぶつかっていくからチョウのチームは一直線に成長していく」と評している。

選手を愛し、選手を信じ、選手を尊敬し、選手に感謝する。

単純な事かもしれないが、それを具現化し選手からも同様に感じてもらえるという事は想像出来ない程に難しい事だろう。

今日もロッカールームには熱く奮い立たせるチョウキジェの言葉が響く。

目先の勝利だけでなく、選手の成長こそがクラブの成長であるという信念こそがJリーグ100年構想の最大のヒントなのかもしれない。

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