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小野智吉の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第363回】

小野智吉は左右両足から繰り出される正確なキックが魅力だ。

GK以外ならどこでもこなすユーティリティープレーヤーであり、横浜FC時代は本職のMF以外に、左右両方のサイドバックとしても活躍した。

高卒で入団したベルマーレを3年で退団後、1年間のブランクを経て横浜FCに入団したこともありメンタルの強さも持ち味。

横浜FCには9年間在籍し、「トモキチ」という愛称でサポーターからも愛された存在であった。

小野智吉のJリーグ入り前


小野は1979年に神奈川県横浜市に生まれた。

東汲沢(ひがしぐみざわ)小学校入学後、東汲沢サッカークラブに入団してサッカーを学ぶ。

横浜市立戸塚中学校卒業後、桐蔭学園高校に入学する。小野の2学年上に戸田和幸(清水エスパルス)、小林慶行(東京ヴェルディ)、1学年下に原田慎太郎(横浜F・マリノス)がいる。

高校時代は2年次から背番号6を背負い、ボランチとして活躍。高校2年次に出場したヨコハマベイブリッジユースサッカー大会では3位決定戦で同い年の小野伸二擁する清水商業と対戦し0-4で敗れている。

高校3年次には高校総体に出場。また小野は神奈川県選抜として国体に出場したが、小野伸二、高原直泰、南雄太、平川忠亮、池田学、山本浩正らを擁する静岡選抜が優勝を飾った。

高校を卒業後、地元のベルマーレ平塚に入団する。同期入団は時崎悠、臼井幸平。

小野智吉のJリーグ入り後

ベルマーレ入団後、1年目の1stステージ第17節ジュビロ磐で外池大亮と交代で出場しJリーグデビューを果たした。
2ndステージの開幕試合である浦和レッズ戦でも交代出場を果たすも0-4で敗退。以降このシーズンは出場機会はなかった。

1999年、ベルマーレはメインスポンサーのフジタが撤退し、経済的に苦しい状況に陥る。元日本代表の小島伸幸野口幸司名塚善寛田坂和昭らが相次いで退団しチーム状況にも影響を及ぼした。
そんな中でも小野はチャンスを掴み、リーグ戦15試合に出場した。

しかし2000年はまったく出場機会がなく、この年限りでベルマーレを退団。

1年間の空白期間を経て、2002年にJ2の横浜FCに加入。同時期にベルマーレで同期だった臼井幸平も加入した。

2002年途シーズン途中に左サイドバックで起用されていた森田真吾からレギュラーを奪うと、持ち前のスピードと疲れを知らない豊富な運動量で活躍。

2003年はシーズンを通して起用され、リーグ戦41試合に出場した。2004年からは背番号7を背負い、開幕戦のベガルタ仙台戦ではJリーグ初ゴールを奪う。しかし怪我の影響もあり定位置には中島崇典が起用されるようになり出場試合は減少した。

2005年はサイドのMFとして起用され、正確なクロスを武器に活躍した。

2006年は高木琢也監督の元、右サイドバックの不動のレギュラーとして活躍。第2節から第18節まで15戦無敗の記録を樹立。横浜FCは11月26日の鳥栖戦に勝利してJ2初優勝を決めた。

2007年からは出場機会が減るも、サイドバックからボランチまでどこでもできる守備の職人として重宝された。
また選手会長を2期連続で務めるなどピッチ内外でチームを支えた。

2010年、横浜FC加入9年目を迎えチーム最古参として挑んだシーズンだったが僅か9試合の出場に留まり、この年限りで現役を引退した。

小野智吉の引退後と現在

小野は引退後、横浜FCにて指導者に転身。ユースコーチやトップチームコーチを経て2023年からはアカデミースタッフに就任している。

横浜FCを選手として9年に渡って支えてきた小野智吉だが、横浜FCで指導者となって13年の歳月が流れている。
実質22年も横浜FCにいるわけだが、こんなにも長く一つのチームで働くというケースは非常に稀だと思う。

現役時代は複数のポジションでチームを支えた小野智吉。引退後も指導者として横浜FCを支え続けている。

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