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古賀正紘の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第253回】

東福岡高校時代は、高校ナンバーワンDFとして知られ、Jリーグ全クラブからオファーを受けるなど超高校級の選手として知られた古賀正紘。

入団した名古屋グランパスでは、高い身体能力を生かし不動のストッパーとして活躍。1対1では無類の強さを見せ、抜群の読みを活かしたインターセプトで数々の危機を救った。

名古屋で10シーズンプレーした後は柏レイソル、ジュビロ磐田、アビスパ福岡でプレー。

古賀は得点能力も高く、セットプレーでは打点の高いヘッドで相手チームの脅威となった。

古賀正紘のJリーグ入り前


古賀正紘は1978年に福岡県大川市に生まれた。古賀誠史は実弟である。

小学3年時からサッカーを本格的に始め、大川スポーツ少年団に所属。当時のポジションはFWだった。

大川市立大川中学校に進学。3年時に九州選抜に選ばれ、U-16日本代表にも召集されるなど若くして将来を嘱望された。

中学卒業後、名門である東福岡高等学校へ進学。サッカー部には1学年上に小島宏美や山下芳輝が在籍しており、FWとしては出場機会はほとんど得られずにいた。それでも古賀は腐る事なく、自宅から往復3時間かかるにも関わらず朝練習を一日も欠かす事はなかったという。

FWとしての才能は小島宏美や山下芳輝には及ばなかったが、恵まれた身体能力とヘディングの強さを高く評価された古賀は監督の勧めでセンターバックへコンバートされる。

DFとして能力を開花させた古賀はストッパーとしてレギュラーに定着。U-16日本代表、U-17日本代表と着実に評価を高めていった。全国高校選手権では高校2年時にベスト4、高校3年時には1学年下の本山雅志や2学年下の金古聖司らと共に挑むもまたしても準決勝で敗れベスト4となった。

古賀は高校ナンバーワンDFとして注目を集め、Jリーグ全チームのクラブからオファーが来るほど高い評価を受けた。

古賀はその中から名古屋グランパスへ入団。名古屋入団の決め手となったのは、当時の監督であるアーセン・ベンゲルからの直筆の手紙だったと言われている。

古賀正紘のJリーグ入団後

名古屋に入団後すぐに頭角を現し、1997年1st第1節セレッソ大阪戦でJリーグデビューを果たした。この年はリーグ戦8試合に出場。

1998年は一気に出場機会を増やしリーグ戦21試合に出場。年代別代表にも変わらず招集され、1998年11月にはアルゼンチンU-21代表との試合に出場。中村俊輔、高原直泰、宮本恒靖戸田和幸、稲本潤一、市川大祐、小野伸二らと共にプレーし、1-0の完封勝利に貢献した。

1999年には名古屋グランパスで天皇杯を制覇。トーレスとセンターバックを組み、著しい成長を遂げた。同年シドニーオリンピックアジア予選の日本代表として予選突破に貢献するも、本大会のメンバーには選出されなかった。

2001年にはトルシエ監督により代表候補に選出される。その後も名古屋のセンターバックとしてプレー。

2005年にはキャリアハイとなるリーグ戦5得点を記録している。

2007年、10シーズンプレーした名古屋を退団し、柏レイソルに移籍。

若手が多いチームに開幕戦から先発メンバーに名を連ね、自身の培った経験を生かし主力として活躍した。

しかし2009年年途中に就任したネルシーニョ監督は古賀を重要視しなかった。また翌年は足首の故障の戦線離脱も重なり出場の機会を失う。

2010年の途中にジュビロ磐田へレンタル移籍。

ナビスコ杯制覇に貢献し、菅沼実と共に完全移籍を果たす。しかし2011年はリーグ戦7試合の出場に留まり退団。

2012年、アビスパ福岡へ移籍。

アビスパでは経験豊富なベテランとしてチームを牽引し、スタメンとして活躍。加入初年度はリーグ戦33試合に出場するも、新戦力の加入などもあり出場機会が年々減少。2015年にはクラブの昇格争いが繰り広げられている中で負傷し、柏レイソル時代の古傷のぶり返しも重なり以降は出場機会を失う。

この年、アビスパ福岡は自動昇格こそ逃したものの、プレーオフに進出。古賀はプレーオフの出場に向けて調整を続けるも復帰は叶わなかった。アビスパ福岡のJ1昇格を見届け、このシーズン限りでの現役引退を表明した。

古賀正紘の引退後と現在

古賀正紘は引退後、古巣である名古屋グランパスのスクールコーチに就任している。

19年間の現役生活だった。

超高校級ストッパーと呼ばれ、鳴り物入りプロ入りした古賀正紘。プロでもその能力の高さを遺憾無く発揮した。

恵まれたサイズ、空中戦の強さ、正確なフィード、そして古賀の代名詞でもあるインターセプト。FW出身だけあり得点能力の高さも併せ持っていた。

日本代表で活躍した松田直樹や中澤佑二と比較しても、そのDF能力の高さは引けを取らないと感じる。だが何かが足りなかったのだろう。19年間でリーグ戦402試合に出場、21得点という偉大な記録を残しながらも残念ながら日本代表には縁がなかった。

2009年の柏レイソル時代に足首の手術をしてからは、持ち味であった一歩目の出だしが遅くなり、空中戦でも競り負ける事も増えた。2012年に舞台をJ2に移しても古傷の状況は良くなる事はなかった。

それでも古賀は最後まで全力で戦った。

現役晩年に所属したアビスパ福岡では、2015年にプレーオフから悲願のJ1昇格を果たした。ピッチに古賀の姿はなかったが大ベテランの古賀が最後まで復帰を目指して黙々と戦った姿は、ピッチで戦うアビスパ福岡の選手達の力になったのではないだろうか。

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