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ダニエル・カリッチマンの現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第380回】

史上初となるアメリカ出身のJリーガーとなったDFダニエル・カリッチマン。

恵まれた体格を生かしたハードワークが売りの選手であり、フィジカルコンタクトに無類の強さを発揮した。

サンフレッチェ広島を退団後はアメリカに帰国し、Jリーグ出身の初のMLSプレーヤーとして活躍。

アメリカ代表にも選出され、親善試合2試合に出場した。

ダニエル・カリッチマンのJリーグ入り前


ダニエルは1968年にアメリカのニューヨーク州ハンティントンに生まれた。

学生時代はサッカーだけでなく、様々なスポーツを経験する。
中でもラクロスとサッカーに夢中になり、両方のスポーツでウィリアムズ大学では全国優秀選手であるオールアメリカンに選出されている。

大学卒業が迫った4年次に、ダニエルは日本の広島に留学していた兄弟を頼りに来日。
その兄弟が、広島の実業団であるマツダSCでコーチを務めていたビル・フォークスに連絡をし、ダニエルを売り込んだことがきっかけでテストを受けることになった。

マンチェスターユナイテッドで500試合以上の出場経験のある元イギリス代表のDFでもあるビル・フォークスは、すぐにダニエルのポテンシャルに興味を示した。

1990年、ダニエルが22歳のときにJSL2部のマツダSCに入団する。

マツダSCの監督は名目上は今西和男だったが、実際の監督業はビル・フォークスが担っていた。
ビル・フォークスはすぐにダニエルをレギュラーで起用するようになる。
1990-1991シーズンは30試合中26試合に出場し、横内昭展前川和也風間八宏らとともにプレー。リーグ2位となる年間失点数に抑え、マツダの1部昇格に大きく貢献した。

1991-92シーズン、ビル・フォークスがマツダのヘッドコーチを退任すると、ダニエルの出場機会は減り、アメリカへの帰国も考えたがJリーグが開幕することを知り、日本でのプレーを続けることを決意した。

また、子供のころから憧れていたジーコが、Jリーグ開幕を機に日本でプレーすることを知ったのも、日本でプレーを続けるきっかけとなった。

1992年、マツダSCはサンフレッチェ広島に改称。ダニエルはサンフレッチェ広島とプロ契約を結んだ。

ダニエル・カリッチマンのJリーグ入り後

1992年、Jリーグ開幕の前年に開催された第1回ヤマザキナビスコカップの第1節ヴェルディ川崎戦で先発出場を果たす。
バックの中央として、吉田安孝、上野展裕とともに3バックを形成したが、この試合は2-3で敗れている。

第7節ガンバ大阪戦では初ゴールを決めているが、この試合の終了間際に退場処分を受けた。
第9節は憧れのジーコが所属する鹿島アントラーズとの対戦だったが、この退場の影響もありダニエルは出場できず、試合もジーコにハットトリックを決められ、0-3で敗れている。

1993年、Jリーグが開幕。
開幕当時のJリーグには、ジーコの他にも、1986年ワールドカップ得点王であるイングランドのリネカー(名古屋グランパス)や、ドイツのリトバルスキー(ジェフ市原)、アルゼンチンのラモン・ディアス(横浜マリノス)など南米や欧州の有名選手が名を連ねた。

ダニエルは代表経験もなく、ビッグクラブでのプレー経験もなかったためマスコミの扱いは小さかったが、唯一のアメリカ出身の選手ということで知られるようになった。

1993年5月16日、開幕戦のジェフ市原戦に先発出場しJリーグデビュー。ダニエルは本来のセンターバックではなく、守備的MFとして出場した。
センターバックはスピードのある佐藤康之とベテランの松田浩が担った。

サンフレッチェのDFには、スウェーデン代表経験のあるセンターバックのフォンデルブルグもいたため、バクスター監督はダニエルをセンターバックの一つ前のポジションで起用した。

サントリーシリーズはスタメンで起用される機会が多かったが、NICOSシリーズに入ると、出場機会が減った。
当時のJリーグは外国人枠が3人のみだったため、サンフレッチェはFWチェルニー(チェコ)、盧廷潤(韓国)、フォンデルブルグ(スウェーデン)やMFヨンソン(スウェーデン)を起用した。

1993年シーズン終了後、契約満了につきサンフレッチェを退団。

1994年からは故郷であるアメリカへ帰国し、Aリーグのニューヨーク・セントルーズでプレー。

1996年にMLSが開幕すると、ロサンゼルス・ギャラクシーのキャプテンとしてチームを牽引し、MLSカップ準優勝を達成。
アメリカ代表に初選出され2試合に出場した。

2001年、チャールストン・バッテリーでのプレーを最後に現役を引退した。

ダニエル・カリッチマンの引退後と現在

ダニエルは引退後、2004年からカリフォルニア州クレアモントにあるクレアモント・マッケナ大学でヘッドコーチを務めた。

その後、2014年からは、MLSのトロントFCのアシスタントコーチを務めている。

現在、Jリーグには町田ゼルビアのGKバーンズ・アントン(ロサンゼルス)や、DF住吉ジェラニレショーン(サンディエゴ)など、ハーフのアメリカ出身の選手は数名在籍しているが、アメリカ人の選手はダニエルと、2013年に4ヶ月だけガイナーレ鳥取に在籍したFWオスカー、同じく2013年にファジアーノ岡山に所属したFWピアカイ・ヘンケルしか存在しない。
しかしオスカーとヘンケルは公式戦に出場なく退団したため、試合出場経験があるアメリカ人はダニエルただ一人である。

外国人枠の関係もあり、わずか1シーズンの在籍となってしまったが、Jリーグ元年に活躍したアメリカ人プレーヤー・ダニエルの存在は語り継がれるだろう。

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