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横山貴之の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第355回】

身長171センチと上背はないが、ポジショニングやシュートセンスに優れたFW横山貴之。

柔らかなボールタッチから繰り出されるドルブルで相手を置き去りにして、ペナルティエリア内で決定的な仕事をする仕事人。

Jリーグではセレッソ大阪、清水エスパルスに所属しJリーグ131試合に出場28ゴールをマーク。

1997年の第7節ガンバ大阪戦ではメモリアルとなるJリーグ通算4000ゴールを決めた。

横山貴之のJリーグ入り前


横山は1972年に大阪府に生まれた。

小学校入学後、2歳上の兄の影響でサッカーを始める。

中学校卒業まで地元の交野FCでサッカーを学んだ。

中学校卒業後、大阪府立交野高等学校へ進学。
高校時代には選手権には出場できなかったが国体に出場している。

高校卒業後、関西大学へ進学。
関大では1学年下に長峯宏範(京都パープルサンガ)、島岡健太(サガン鳥栖)がいる。

3年次には関西大学選手権で優勝を経験。
4年次には関西大学春季リーグで優勝。横山はベストイレブンに選出された。

大学を卒業後、横山は地元のプロチームであるセレッソ大阪へ入団する。

横山貴之のJリーグ入り後

1995年、入団1年目は6月28日のサントリーシリーズ 第20節ベルマーレ平塚戦でベンチ入りを経験。
第22節横浜マリノス戦で深川友貴と交代で出場しJリーグ初出場を飾ったが、この試合は0-1で敗れている。ルーキーイヤーはリーグ戦8試合0ゴールに終わった。

1996年は出場機会を増やし、第25節柏レイソル戦でJリーグ初ゴールを含む2得点をマーク。
その後も第26節アビスパ福岡線、第27節横浜マリノス戦ではいずれも途中出場から決勝ゴールを挙げ、3戦連発ゴールを達成し一気に評価を上げた。

1997年はクルピ監督の元、スーパーサブとして起用され開幕戦の鹿島アントラーズ戦でゴール。
このシーズンは大黒柱である森島寛晃がワールドカップ予選の為に欠場する試合が多く、横山に対する期待は大きかった。
横山は見事にその期待に応え、2ndステージ第8節ヴェルディ川崎戦では、前半に3点を奪われるもそこから5点取り返すことに成功し、横山は決勝点を挙げる活躍を見せた。
横山の活躍はシーズン終盤まで続き、このシーズンはJリーグ通算4000ゴールを決め、キャリアハイとなるリーグ戦30試合11得点を挙げてチーム得点王となるなど、飛躍のシーズンとなった。

1998年はリーグ戦24試合で4得点と前年の成績より数字は落ちたが、スーパーサブとして決定的な仕事ができる選手として起用された。

1999年は背番号11を背負い、リーグ戦、天皇杯、カップ戦でそれぞれゴールを挙げるも出場はリーグ戦17試合に留まり、この年限りでセレッソを退団する。

2000年は清水エスパルスへ移籍。

加入1年目は出場機会が少なかったが。加入2年目に本領を発揮。
1stステージ第3節東京ヴェルディ戦では、スタメン出場を果たし、FW安永聡太郎と息の合ったプレーを見せ2ゴールを挙げ、2-1での勝利に貢献した。
この年はリーグ戦23試合で8ゴールを挙げ、天皇杯優勝にも貢献した。

2002年は出場機会が激減し、リーグ戦11試合に出場でノーゴールに終わり、この年限りでエスパルスを退団する。

2003年、活躍の場をJFLに移し、佐川急便大阪SCへ入団する。
ここでは格の違いを見せ、13ゴールを挙げ、リーグベスト11に選出される活躍を見せるもこの年限りで現役を引退する。

横山貴之の引退後と現在

横山は引退後、指導者に転身。
2004年にセレッソ大阪のスクールコーチを務め、2008年からは清水エスパルスのジュニアユースの監督を務めている。

横山がシーズン11ゴールを挙げた1997年は、ブラジル人DFジャン・エリアス・ペイシュートがセレッソに所属しており、ジャンの強烈なフリーキックからのこぼれ球を横山が押し込むのがひとつのパターンとなっていた。

横山が挙げたJリーグでの28ゴールのうち、およそ半数は途中出場でのゴールである。

横山貴之は得意のドリブルで試合の流れを変えることも出来るし、正確なシュートで確実にゴールを決めることが出来る貴重な選手であった。

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