90分あたりの通算防御率0.89という驚異の数字を残したオランダ人GKヴァン・ズワム。
ヴァンズワムは身長188cm、84kgという恵まれた体格を生かして守備範囲をカバーした。
Jリーグベストイレブンに初めて選出された外国人GKであり、その安定感は抜群だ。
1対1に強く、突出した反応速度でジュビロ磐田の黄金期を最後方で支えた。
ジュビロ磐田黄金時代の守護神、ヴァンズワムに迫る。
ヴァンズワムのJリーグ入り前
ヴァンズワムは1969年にオランダに生まれた。
オランダのレオネス・レーウェンでサッカーを始め、1992年にオランダの当時2部リーグに在籍していたフォルトゥナ・シッタートでプロ生活をスタート。
入団2年間は出場機会に恵まれないが、3年目のシーズンで初出場を果たすとフォルトゥナの1部復帰に貢献した。このシーズンはリーグ戦34試合に出場を果たした。
以降、5シーズンに渡り、フォルトゥナの正GKとしてオランダ1部リーグで活躍した。
2000年シーズン終了後、Jリーグのジュビロ磐田からオファーを受け入団が決定する。
ヴァンズワムのJリーグ入り後
当時のジュビロ磐田はGKに不安を感じており、日本では知名度が低いがオランダで安定した実績を残していたヴァンズワムを正GKに抜擢した。
ヴァンズワムは入団決定時、このようなコメントを残している。
「磐田に来れて、ジュビロに入れてうれしく、光栄に思います。チームの一員として、優勝に貢献したい。日本でのプレーは私にとって大きなチャンスだと考えているし、ファネンブルグからジュビロはいいチームだと聞いているので、私もここで勝つために頑張りたい。」
ヴァンズワムはジュビロ磐田加入1年目はリーグ戦15試合に出場。
来日間もないこともあり、DFのコミュニケーション不足から失点に繋がるシーンもあったがキャッチングの技術の高さと正確なコーチングでチームを支えた。
翌年の2001年も開幕から正GKとして君臨し、リーグ戦26試合に出場。ジュビロ磐田の1stステージ優勝に貢献した。
当時のジュビロ磐田には大岩剛、鈴木秀人、田中誠という日本代表クラスのディフェンス陣が揃っており、名波浩を中心としたN-BOXというシステムがはまり、Jリーグでは無双の強さを誇った。
ヴァンズワムも静岡ダービーで清水エスパルスのアレックスのPKを阻止するなど貢献。
ジュビロ磐田は1stステージ13勝1分け1敗という強さで、鉄壁の守備を支えたヴァンズワムはこの年のJリーグベストイレブンに選出された。
2002年には1stと2ndの双方のステージで優勝する年間完全優勝を果たした。
しかし2003年途中にミスが続き、レギュラーポジションを失うとそのままシーズン途中にジュビロ磐田を退団。
母国オランダのNACブレダへ移籍し、4シーズンプレーした後に引退をした。
ヴァンズワムの引退後と現在
ヴァンズワムは引退後、古巣のプレダにてGKコーチを務めている。
ヴァンズワムはJリーグで74試合に出場、66失点という成績で防御率が1試合あたり0.89という驚異的な数字を残した。
この記録は現在でも破られていない。
もっとも当時のジュビロ磐田は守備陣のレベルが高くJリーグでもトップクラスであり、この防御率という数字はヴァンズワム1人の能力を証明する数字ではない。
しかし、ディフェンスと密な連携が必要なGKというポジションにおいて外国人GKが打ち立てた記録という点においても評価されるべきだろう。