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鈴木規郎の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第453回】

強烈な左足でのシュートが持ち味の鈴木規郎。

DFからFWまで数多くのポジションをこなし、2003年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権に出場した。

その左足の威力はJリーグトップレベルであり、ブラジル代表ロベルト・カルロスにちなんでノリカルの愛称で親しまれた。

特に直線的な弾道で突き刺すフリーキックは強烈な印象を与え、多くのファンを魅了した。

鈴木規郎のJリーグ入り前


鈴木は1984年に千葉県千葉市に生まれた。

5歳の時にサッカーを始める。

市原市立清水谷小学校入学後、3年生の時に古河電気工業の下部組織に入りサッカーを学んだ。

市原市立ちはら台南中学校進学後、ジェフ市原ジュニアユースに昇格する。
U-15クラブユース選手権ではレギュラーとして活躍し、全国優勝を果たした。

千葉県立八千代高等学校進学後は、トップチーム昇格は果たせず同校のサッカー部に所属した。
同学年に中島崇典(湘南ベルマーレ)、1学年上に兵働昭弘(清水エスパルス)、1学年下に尾本敬(横浜Fマリノス)がいる。

高校時代は選手権への出場は叶わなかったが、田嶋幸三監督によりU-16日本代表に選出。
菊地直哉(ジュビロ磐田)、成岡翔(ジュビロ磐田)、藤本淳吾(清水エスパルス)、阿部祐大朗(横浜Fマリノス)らとともにアジアユースサッカー選手権へ出場した。

高校3年次には千葉県選抜として国体に出場しベスト16入りに貢献。
長谷部誠(浦和レッズ)、栗原勇蔵(横浜Fマリノス)、徳永悠平(FC東京)らとともに大会優秀選手に選出された。

高校卒業後、FC東京に入団する。

鈴木規郎のJリーグ入り後

2002年11月16日第13節清水エスパルス戦でJリーグ初出場を果たすも、同年はリーグ戦3試合の出場に留まった。
同年、U-19日本代表に選出されAFCユース選手権2002の予選に出場し予選突破に貢献した。

2003年もFC東京では出場機会は少なかったが、U-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権へ出場。
グループリーグのイングランド戦とエジプト戦に出場し予選突破に貢献。
決勝トーナメント1回戦の韓国戦ではフル出場し勝利。続くブラジル戦でも左ウイングとして先発したがニウマールやカルヴァーリョに2得点ずつ奪われ1-5で敗退した。

2004年はFC東京で出場機会を増やす。
開幕戦のアルビレックス新潟戦で左ウイングとして先発するとその後もコンスタントに出場。
2004年6月16日第13節ジェフ千葉戦では開始直後にJリーグ初ゴールを奪うと、その後も2点目を奪い2-0での勝利の立役者となった。
また同年6月8日、ヤマザキナビスコカップのヴィッセル神戸戦ではゴールまで30メートルの位置から左足で強烈なフリーキックを突き刺し勝利に貢献。
FC東京はその後も勝ち続け、ナビスコカップ初優勝を果たした。

2006年も左ハーフとしてリーグ戦21試合に出場。

2007年はキャリアハイとなるリーグ戦30試合に出場し5ゴールを決めた。

2008年はヴィッセル神戸へ移籍。
2008年3月5日第2節川崎フロンターレ戦で古賀誠史と交代で新天地でのデビューを果たす。
第4節ジェフ千葉戦ではゴール正面から約35mの距離のフリーキックを強力な弾道で決め、神戸サポーターの心を掴んだ。
この年はリーグ戦26試合に出場し2ゴールを挙げた。

2009年はシーズン序盤から出場機会を失い、同年6月にフランス2部のアンジェSCOへ完全移籍。
ホーム開幕戦のディジョン戦で交代出場で左サイドハーフでデビュー。
リーグ戦8試合に出場したがゴールはなく、この年限りで退団した。

2010年はJ1大宮アルディージャへ移籍。
加入初年度は左サイドバックとしてレギュラーの座を掴むも、2年目以降は出場機会が減少。
2013年はFWとして出場。ノヴァコヴィッチ、ズラタン、長谷川悠らとポジション争いを演じるも10試合の出場で1ゴールに留まりこの年限りで大宮を退団。

2014年はベガルタ仙台へ移籍。
主に後半途中から出場する機会が多く、リーグ戦10試合に出場しノーゴールに留まると1年で仙台を退団した。

2015年はユナイテッド・フットボールリーグのグローバル・マカティFCへ移籍。
柳川雅樹、大友慧、星出悠らとともにプレー。リーグ戦8試合に出場した。

帰国後、合同トライアウトやJクラブの練習に参加するも契約には至らず32歳で現役を引退した。

鈴木規郎の引退後と現在

鈴木は引退後、2018年5月にプロサッカー選手の代理人業を中心にスポーツビジネスを展開する「株式会社 By players」を設立。
代理人としてセカンドキャリアをスタートさせている。

現役時代、ゴール数こそ少なかったが、鈴木の最大の武器である左足でのシュートの威力は見る者を魅了した。

美しい弧を描くフリーキックを蹴る選手は数多くいるが、強烈な弾道で真っすぐ突き刺すフリーキックを蹴れる選手はそう多くない。

到底狙える位置にないフリーキックでも、セットポジションに鈴木がいると期待せざるをえない気持ちにさせられた。

記録より記憶に残る選手とは鈴木規郎のような選手のことを言うのであろう。

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