正確なキックと、高いボールコントロール能力で、黄金期の浦和のゲームメイクを担ったロブソン・ポンテ。
ポンテは、浦和に在籍した5年半で、2年連続での天皇杯制覇、Jリーグ優勝、そしてACL優勝という輝かしい成績を納め、自らも2007年のJリーグMVP、ベストイレブンに輝いた。
とにかくミスが少なく、運動量のある選手で、攻撃だけでなく、前線からのファーストディフェンスでもチームを支えた。
ポンテが在籍していた当時の浦和には、ワシントン、永井雄一郎、岡野雅行、エジミウソン、マリッチ、田中達也など優秀なFWがたくさんいたが、誰と組んでも抜群のコンビネーションを見せ、パスの出し手としても受け手としても、非常に優秀な選手であった。
「第2の故郷」と呼ぶほど、浦和を愛したポンテは、多くのレッズサポーターを魅了し、そして愛された。
ポンテのJリーグ入り前
サンパウロ市内のクラブであるジュベントスの下部組織でサッカーを学び、1996年にジュベントスでデビューを果たす。デビューイヤーはリーグ戦24試合に出場し12ゴールを記録している。
サンパウロ州のクラブチームであるアメリカFC、ブラジル・セリエAのグアラニFCでのプレーを経て、1999-2000年シーズンにドイツに渡り、ブンデスリーガのレバークーゼンと契約を結ぶ。
レバークーゼンでは、バラック、シュナイダー、ゼ・ロベルト等とともにプレー。スタメンで起用される機会は少なかったが、リーグ戦24試合に出場した。
2001-2003年シーズンからは、VfLヴォルフスブルクにレンタル移籍。後に浦和で共にプレーすることになるFWマリッチとの連携で活躍し、リーグ戦31試合で8ゴールを記録した。
2003-2004年シーズンからレバークーゼンに復帰すると、レギュラーとして活躍。チャンピオンズリーグにも出場を果たし、グループリーグではレアルマドリードと対戦し3-0での勝利に貢献。当時のレアルは銀河系軍団と呼ばれ、ラウル、フィーゴ、ジダン、ベッカムなどのワールドクラスの選手が多数所属していた。
2004-2005年シーズンで、レバークーゼンとの契約が終了すると、当時の浦和レッズの監督であるギド・ブッフバルトからオファーを受け、2005年7月に浦和レッズへの移籍を決断する。
ポンテのJリーグ入り後
ポンテは、2005年8月20日の第19節FC東京戦で、背番号10を背負い、Jリーグデビューを飾ると、この試合で決勝ゴールを決め、勝利に貢献する。
この年のポンテは、主にFWマリッチや岡野雅行、永井雄一郎の後ろでプレー。2列目からの飛び出しで自らゴールを奪うだけでなく、正確なラストパスで数々のゴールを演出した。
このシーズンは、途中加入ながらリーグ戦16試合で8ゴールを記録。攻守に渡り、献身的なプレーを見せ、ブッフバルト監督からの信頼を揺るぎないものとした。
2006年シーズンは、FWワシントンが加入、そして小野伸二が復帰。ポンテ自身の復調もあり、開幕戦から第8節京都戦まで不敗で、浦和はリーグトップを走る快進撃を続けた。
しかし、5月に右肩を脱臼し、7月にはドイツでの合宿中に右足首を痛める等負傷が続き戦線を離脱。復帰までは4ヶ月の期間を擁した。
第22節の大宮アルディージャ戦で復帰すると、6連勝に貢献し、優勝争いを展開。最終節のガンバ大阪戦では劇的な同点ゴール、そして決勝点をアシストして勝利に貢献。浦和レッズの優勝の立役者となった。
2007年シーズンはACLで5得点を挙げ、優勝に貢献。Jリーグでも好調をキープし、最後まで鹿島アントラーズと優勝を争った。勝ち点2差で優勝は鹿島に譲るも、ポンテ自身はリーグ戦33試合に出場し7ゴールを記録。JリーグベストイレブンとMVPを受賞した。
2008年シーズンは肉離れなどの怪我の影響もありリーグ戦16試合の出場に留まり、浦和も年間順位7位に沈んだ。
2009年シーズンは、怪我の影響や、ユースから昇格した原口元気、若手の山田直輝などの台頭もあり、フル出場の機会が減る。
2010年シーズンはチーム2位となるリーグ戦9得点をマークするもこの年限りで浦和を退団。
ブラジルに帰国し、グレミオ・バリエリで1シーズンのみプレーし現役を引退した。
ポンテの引退後と現在
ポンテは引退後、兄の経営する建設会社の運営に携わった後、2016年にポルティモネンセSCのテクニカルディレクターに就任。 現在は、副会長も兼任している。
ポンテはポルティモネンセで外国人選手の獲得にも注力しており、2017年8月には、当時FC東京の所属だった中島翔哉の獲得に尽力した。
そして、2019年にはサガン鳥栖から日本代表GKの権田修一、鹿島アントラーズからDF安西光輝を獲得するに至った。また、ポンテのコネクションから、ポルティモネンセ所属のマウリシオ、ファブリシオ等の外国人選手の浦和への加入が実現している。
浦和を「第2の故郷」と語っているポンテ。今後もポンテの存在は、浦和にとっても、日本にとっても貴重なものになっていくだろう。
“ロビー”という愛称で多くの日本人サポーターに親しまれた最高峰のMFは、日本と世界を結ぶ重要な架け橋となっている。