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森敦彦の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第19回】

横浜フリューゲルス創世記に活躍したGKだ。

ドレッドヘアーにバンダナを巻き、レゲェミュージックを好んだ森は

その自由なスタイルに好感を持たれ、レゲェくんと呼ばれ、たちまち人気者となった。

身長は179㎝と決して大きいほうではない森だったが、

ピッチの上では熱い闘志と天性の判断力で何度もフリューゲルスの危機を救った。

今回はそんな森敦彦に迫っていく。

森敦彦のプロ入り前


1972年、兵庫県明石市に生まれた森敦彦。

森はサッカーの強豪として知られ、後の日本代表として活躍する金崎夢生や岡崎慎司を輩出したサッカーの名門滝川第二高等学校に進学する。

高校3年の時に第69回高校サッカー選手権の全国大会に兵庫県代表として出場。

この第69回選手権の全国大会は名波浩や前園真聖、大岩剛や斉藤俊秀など後の日本代表で活躍する選手が多く出場している。

順当に勝ち進んだ滝川第二は3回戦で長崎の強豪である国見高校と対戦。

森は鉄壁の守りで優勝候補といわれた国見の攻撃を防ぐ。

試合は0-0でPK戦までもつれるも、接戦の末、国見が勝利。

国見はそのまま優勝を果たした。

森は大会優秀選出に選出された。

森は高校を卒業すると日本サッカーリーグの全日空横浜サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)へ加入する。

森敦彦のプロ入り後

Jリーグ開幕初年度、フリューゲルスの監督だった加茂周氏は正GKに森敦彦を指名する。

当時Jリーグは10チームしかなかったが、森は最年少正GKとしてフリューゲルスのゴールを守った。

1年目はリーグ戦36試合に出場。

ドレッドヘアーに鮮やかなバンダナを巻いて、プレーする姿が人気を博し、バラエティ番組にも多数出演。

現役Jリーガーとしては初めて「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演し、レゲェミュージック好きの森はCDも発売するなど、ピッチ以外での活躍も目立った。

森は、その活躍から日本代表候補にも名を連ねるなどしていたが、1995年の8月に事態は急変する。

浦和レッズ戦後半44分。

フリューゲルスのDFがレッズのFWを倒したとのことでPKの判定に。

判定に納得のいかなかった森は審判にボールを投げ、故意に左肩を主審にあててしまう。

この行為が暴力行為と捉えられ、森は3ヶ月出場停止という非常に重い処分を下されてしまう。

この3ヶ月出場停止という処分は、23年経った現在となっても史上最長の長さである。

森は残りのシーズンを棒に振ることになった。

そんな状況の中、森の代わりにフリューゲルスの正GKとなったのは楢崎正剛である。

楢崎はこのチャンスを生かし、一気にスターダムへ駆け上がっていく。

チャンスを失った森は1997年に当時JFLのコンサドーレ札幌に移籍するが、リーグ戦5試合の出場の留まり、この年限りで引退を決意することになる。

森敦彦、25歳での早すぎる引退だった。

森敦彦の引退後と現在

引退した森はサッカー関連の仕事と離れ、東京都内にバー「ROCK STEADY」をオープンさせる。

音楽好きの森だからできる本格的なサウンドシステムとこだわりの音楽で注目を集めた。

そして2005年からは石塚啓次(元ヴェルディ川崎)とともにファッションブランド「WACKO MARIA」(ワコマリア)を立ち上げる。

現在もファッションデザイナーとして活躍を続けている。

私は時々考えてしまう。

あの時、森が退場にならなければどうなっていたかを。

きっとその後もフリューゲルスのゴールを守り続け、日本代表としても活躍を続けたかもしれない、と。

森は新星のごとくあらわれ、そして流れ星のような速さでピッチを去っていった。

しかしその輝きは鮮やかで、引退から何年も経過した今でも色あせることはない。

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