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松波正信の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第21回】

中田浩二や田中達也など、多くのスター選手を輩出した帝京高校において、高校時代の松波正信はまぎれもなくスター選手だった。

恵まれた体格を生かし、インプレーでは研ぎ澄まされた集中力で何度もゴールを狙いに行く。

超高校級の得点能力を兼ねそろえた選手だった。

松波正信に迫っていく。

松波正信のプロ入り前


松波は1974年、岐阜県岐阜市に生まれた。

幼少期からサッカーで名を馳せ、進学した先は東京都の帝京高校。

2年生のときに第70回全国高校サッカー選手権に出場。

この大会は後の日本代表となる前園真聖や、小倉隆史、城彰二など多くの才能ある選手が出場した。

その中で松波は7得点を挙げて大会得点王に輝く。

帝京高校を優勝に導く活躍を見せ、大型ストライカーとして注目を集めた。

その後、開幕したばかりのJリーグの4クラブ(名古屋グランパスエイト、鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原)からオファーがあり、ガンバ大阪に加入。

入団の決め手となったのは、帝京高校の先輩である礒貝洋光がガンバ大阪に在籍していたからである。

また当時のガンバ大阪の監督である釜本邦茂氏から「お前を日本一のFWに育ててやる」と口説かれた事と、Jリーグを代表するFW永島昭浩がいたことも大きかった。松波はクラブ史上初めて入団会見が開かれた選手となった。

松波正信のプロ入り後

松波は、加入1年目から主力として活躍。

初年度はリーグ戦29試合に出場し、7得点を記録した。19歳の誕生日の前日に行われたジェフユナイテッド市原戦ではハットトリックを達成。

18歳と364日でのハットトリック達成は、現在もJ1リーグの最年少記録である。

当時の日本代表監督であるファルカン氏に日本代表へ召集されるも怪我のため、辞退する。

1997年にはパトリック・エムボマと2トップを組み、多くのチャンスを演出し、自身も初のリーグ戦2桁ゴールを挙げた。

以降、松波はガンバ大阪一筋でプレーした。

晩年は途中出場が多くなり、得点を取る立場から、試合終盤に投入されるクローザーとして変化していった。

松波はサポーターからミスターガンバといわれ慕われ、惜しまれつつ2005年で引退した。

松波正信の引退後と現在

松波は引退後、指導者へ転身。

2012年にはクラブOB初となるガンバ大阪監督に就任した。

2014年には、ガイナーレ鳥取の監督に就任。

現在はガンバ大阪OB選手会会長をしながら、アカデミー強化部長として活躍している。

ガンバ大阪から、松波の跡をつぐスケールの大きいストライカーが生まれるのが楽しみだ。

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