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小松塁の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第247回】

190センチという恵まれた体格ながら、小松塁は所謂ターゲットマンタイプのセンターフォワードではない。

足元の正確な技術に長けており独特なリズムのドリブルで仕掛ける事の出来るのが小松塁の持ち味だ。

特にサイドで受けてから中に切り込んでいくドリブルは迫力があり、2人、3人とかわしていくのも珍しくない。シュートテクニックも高く、ポストプレーも秀でている小松塁はJ1、J2、J3、地域リーグとカテゴリー問わずに5チームに在籍しその万能型のプレースタイルは重宝された。

特にJ2では二桁得点を3シーズン達成するなどリーグ戦215試合に出場し64得点をマーク。2015年シーズンは18得点を奪い日本人得点ランキング1位となるなど存在感を示した。

小松塁のJリーグ入り前


小松塁は1983年、高知県安芸市に生まれた。

2歳年上の兄の影響で保育園頃からサッカーを始めた。小学生の時のポジションはセンターハーフとしてプレー。

安芸市立清水ヶ丘中学校ではDFとしてプレーし、卒業後、県立高知追手前高校に入学。
高校では監督のアドバイスでFWに転向。強豪校ではなかったが厳しい監督の元でFWとしての技術を研いていった。

高校卒業後、関西学院大学へ進学。大学2年時から試合に出始め、2005年、大学4年時にはユニバーシアード日本代表の一員に選出。優勝に貢献した。また、強化指定選手としてセレッソ大阪に登録される。

大学卒業後、セレッソ大阪に入団。同期には香川真司がいた。

小松塁のJリーグ入り後

セレッソ入団後はなかなか出場機会に恵まれず、シーズン途中の10月には全国地域リーグ決勝大会突破とJFL昇格を目指していた当時九州リーグ所属のV・ファーレン長崎に期限付き移籍をする。

2007年セレッソ大阪に復帰。古橋達弥との2トップで2007年に12得点、翌年も16得点と小松は主力FWとして活躍。

2008年も当初は出場機会に恵まれなかったが、第8節のロアッソ熊本戦でスタメンに復帰すると、第9節の横浜FC戦から5試合連続でゴールを挙げるなど、スタメン起用に応えて成果を挙げている。

2013年、大分トリニータに移籍し同年7月に長崎へ2度目のレンタル移籍となる。

2015年にはギラヴァンツ北九州へ完全移籍。自身の年間ゴール数最多記録となる年間18ゴールで、同シーズンのJ2リーグゴールランキング3位、日本人選手ではトップとなった。

2016年2月28日のモンテディオ山形との開幕戦では鹿島から新加入の本山雅志が後半24分に投入されると攻撃のリズムが一変。勢いのまま同31分、小松が打点の高いヘディングで決勝弾を決めチームJ2参入以来、開幕戦初勝利に貢献した。しかしその後は小松の得点率も低下しチームもJ3降格となってしまう。

2017年天皇杯2回戦の清水エスパルス戦でチーム唯一のゴールを決めたが、J3リーグ戦では14試合に出場するもゴールを挙げることは出来なかった。

同年11月22日クラブから契約満了となり2018年、引退を表明した。

小松塁の引退後と現在

小松塁は引退後、セレッソ大阪スポーツクラブに入団し、スクールコーチに就任している。

セレッソ大阪での現役時代、監督を務めるレヴィー・クルピは小松塁について「FWとして必要なものを全て備えている選手」と絶賛している。

長身のセンターフォワードといえば、ヘディングの強さ、ボールの収まり、ポストプレーなどターゲットとしての役割を否応無しに求められる。

しかし小松塁の最大の持ち味は足元で受けて自分で仕掛けていくプレーではないかと思う。力強くもありしなやかでもある小松塁のドリブルは躍動感があり迫力があった。

現役時代、練習から手を抜かず真面目な男として知られた小松塁。コーチとなったセカンドキャリアにも期待したい。

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