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加地亮の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第110回】

疲れを知らないスタミナ、タイミングの良いオーバーラップ、滑らかなボールタッチなど全てにおいて高いレベルでこなす右サイドバックのスペシャリスト、加地亮。

特に動き出しにおいては秀逸で、豊富な運動量と絶妙なタイミングで繰り返されるオフ・ザボールの動きは加地亮を語る上で欠かすことの出来ない魅力だ。

空きスペースを見つけると迷わず飛び込み、ボールのないところで何度も繰り広げられる加地亮の上下運動は相手選手を警戒させ、加地亮に気を取られるうちに今度は自然と左サイドバックに空きを生む、いわゆる囮のプレーも得意。

日本代表でも活躍し、ジーコ監督から重宝され2006年ドイツワールドカップで活躍。

代表戦64試合出場という偉大な記録を残した。

献身的なプレーでチームを支える最強の黒子、加地亮に迫る。

加地亮のプロ入り前


加地は1980年に兵庫県南あわじ市に生まれる。

南あわじ市立湊小学校1年の時にサッカーと出会う。

少年時代から足が速かった加地はすぐにサッカーにのめり込み、FWとしてプレー。

西淡町立御原中学校3年生の時にプロサッカー選手になる事を志し、サッカーの名門である滝川第二高等学校にセレクションの上、入学する。

滝川第二ではDFやMFなど様々なポジションでプレーしたが最終的には右のアタッカーとして滝川第二の攻撃の起点となる。

高校でインターハイ、高校サッカー選手権大会に出場。

高校3年時に出場した選手権では3回戦で丸岡高校に敗れるも、加地亮の攻撃センスはプロのスカウトから注目を集める。

そして高校卒業後の1998年にセレッソ大阪へ入団する。

加地亮のプロ入り後

加地は高卒ルーキーながら7月25日の第13節アビスパ福岡戦でデビューを果たすと1年目からリーグ戦15試合に出場。

そしてこの年にU-19日本代表としてアジアユースに出場を果たす。

小野伸二や稲本潤一、高原直泰など黄金世代と呼ばれるメンバーと共に戦った。

翌年の1999年にはFIFAワールドユース選手権にU20日本代表として選出。加地は3試合に出場し、日本代表を準優勝に導く活躍を見せた。

しかしセレッソ大阪ではレギュラーを掴みきれず、出場機会を求めて2000年にJ2の大分トリニータへ移籍。

大分では中心人物として2シーズンでリーグ戦75試合に出場。

2002年からはJ1のFC東京へ移籍。

当時のFC東京監督である原博実氏の志す攻撃的サイドバックとして右サイドバックのレギュラーに定着。

右サイドハーフの石川直宏と絶妙なコンビネーションを見せ、FC東京の攻撃パターンの1つを担った。

2003年には日本代表へ初選出。

2003年10月のチュニジア戦で代表デビューを飾ると、加地の持ち味である精力的なオーバーラップと豊富な運動量が評価され、ジーコジャパンの不動の右サイドバックに定着する。

2004年には中国開催のアジアカップに出場し優勝に貢献。

2006年開催のワールドカップメンバーにも選出されたが、本大会直前に行われたドイツとの親善試合でバスティアン・シュヴァインシュタイガーから後方からの危険なタックルを浴びせられ負傷退場。

本戦への出場が危ぶまれたが、第2戦から復帰し2試合にフル出場を果たした。

FC東京でも不動のレギュラーだったが更なるレベルアップと関西圏でのプレーを希望し2006年にガンバ大阪へ移籍。

同年のJリーグベストイレブンに選出。

2007年にはガンバ大阪のナビスコ杯制覇、2008年にはアジアチャンピオンズリーグ、天皇杯の優勝に貢献した。

日本代表にもコンスタントに召集を受けていたが、2008年にオシム監督から岡田武史監督へ代わると、内田篤人がレギュラーとして使われるようになる。

加地は強豪クラブ在籍による過密日程を代表と並行するのが難しくなったことや、右足の怪我もあり日本代表を引退。

ガンバ大阪ではJ2降格や度重なる怪我もあったがレギュラーとして出場を続ける。

2014年6月に加地初となる海外移籍を果たす。

34歳にして選んだ場所はアメリカだった。

メジャーリーグサッカーのチーヴァスUSAへ移籍が決まると主力メンバーとしてレギュラーに定着。

しかし10月に所属チームが解散するという閏き目に遭い、アメリカで移籍先を探したが見つからず、2015年にJ2のファジアーノ岡山へ移籍した。

ファジアーノ岡山では岩政大樹とともにチームを盛り上げる。

そして2017年シーズンを持って現役を引退した。

加地亮の引退後と現在

加地は引退後、神戸でヘアエステサロン「cazi」や大阪でレストラン「CAZIカフェ」を夫婦で経営。

カフェには毎日9時に出社し、深夜0時に帰宅するなど忙しい日々を送る。

ランチどきには皿洗いを率先して行なっているという。

「サイドバックだった自分はピッチ上でも他の選手を縁の下から支える役目を担っていました。今は働く場所がカフェに変わったけど、やっていることはまったく同じ。今は山のように積み上がる皿を見るだけでアドレナリンが出てきます。」と加地は明るく話す。

カフェにはガンバ大阪やファジアーノ岡山のサポーターが訪れる事も多いという。

プロサッカー選手を20年間続けた男のセカンドキャリアは意外なものだったが、人に喜びを与えて献身的に支えていくという加地らしい生き方は何も変わらない。

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