13年間の現役生活を川崎フロンターレ一筋でプレーしたDF伊藤宏樹。
出場試合数はリーグ戦だけで390試合。カップ戦や天皇杯を含めると実に475試合に及ぶ。
フロンターレの象徴である中村憲剛は、伊藤宏樹について「ミスターフロンターレのような存在」であると語る。
現在は常に優勝候補の一角として名前が挙がる川崎だが、伊藤宏樹はそれまでの辛く苦しいチーム状況を支えてきた功労者の1人だ。
伊藤宏樹のJリーグ入り前
伊藤は1978年、愛媛県新居浜市に生まれた。友達の影響でサッカーを始めた。
新居浜市立金子小学校の2学年上に福西崇史がいる。
新居浜市立川東中学校、新居浜工業高校を経て立命館大学・経済学部へ進学。大学の3学年下に松井大輔がいる。伊藤がプロを目指したのはこの頃で、1年時からレギュラーとして活躍した。
大学4年時には関西大学リーグで優勝を経験。伊藤はベストイレブンに選出される活躍を見せた。
大学卒業後、2001年にJ2であった川崎フロンターレへ入団する。
伊藤宏樹のJリーグ入り後
フロンターレでは加入初年度の開幕戦からレギュラーに定着。第16節の水戸ホーリーホック戦ではJリーグ初ゴールをマーク。最終戦こそ警告累積で出場できなかったが、それまですべての試合に出場し続けた。翌年もリーグ戦44試合全てに出場を果たすなど早くから守備の要として活躍した。
2004年、寺田周平、箕輪義信と組んだ3バックは「川崎山脈」と呼ばれた。35試合に出場しJ2優勝にも大きく貢献した。
2005年、伊藤はキャプテンに就任するとリーダーシップを発揮しチームを牽引。正確なフィードとクレバーなDFでフロンターレの堅守を支えた。
2006年、フロンターレはJ1昇格からわずか2年でリーグ2位となるなど躍進。2007年にはACL(アジア・チャンピオンズリーグ)初参戦を果たし、ヤマザキナビスコカップで準優勝を果たした。伊藤はセンターバックだけでなく2008年からは左サイドバックを経験しプレーの幅を広げた。
その後も安定したパフォーマンスを見せ、コンスタントに出場を続けるが2013年、12月に引退を発表。
その後行われたJ1最終節、横浜Fマリノス戦では54分にゴールを決めたレナトに代わり87分に途中出場し無失点に貢献し勝利を納めた。この勝利で横浜の優勝を阻止し、順位は3位に上がり翌年のACL出場を決めた。
11年間共に川崎でプレーしてきた親友でもある中村憲剛は、引退のはなむけに天皇杯でのタイトル獲得を切望していたが、伊藤は準々決勝に先発し奮戦したものの敗戦。タイトル獲得には至らず、伊藤は13年の選手生活に幕を下ろした。
伊藤宏樹の引退後と現在
伊藤宏樹は引退後、川崎フロンターレのクラブスタッフに就任。
2016年からはフロンターレのスカウトとして活躍している。
伊藤宏樹は現役時代、1対1の強さと安定したラインコントロールでフロンターレの堅守を支えた。
伊藤はファールが少なく非常にスマートなDFをする選手であり、クリーンな選手であった事は広く知られている。
J2時代からフロンターレを支え、J1では優勝争いを演じるも遂には13年間の現役生活の中でタイトル獲得は叶わなかった。しかし伊藤宏樹が戦い抜いた475試合の蓄積が現在のフロンターレの躍進に繋がっているのだと感じる。
フロンターレのレジェンドはクラブスタッフとしてチームの勝利を今後も支えていく。