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石川研の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第383回】

沖縄県出身者初のJリーガーとして活躍したGK石川研。

182センチと、GKとしては決して身長が高いわけではないが、ポジショニングの正確さと安定したセービングでチームを支えた。

1992年に名古屋グランパスエイトに入団し、ベガルタ仙台、水戸ホーリホックと渡り歩き、34歳で引退するまで12年間現役でプレー。

指導者としてもS級ライセンスを取得し、地元沖縄で活躍している。

石川研のJリーグ入り前

石川は1970年に沖縄県石川市(現うるま市)に生まれた。

石川市立城前小学校でサッカーを始め、石川市立石川中学校に進学。

沖縄県立石川高等学校に進学するも、選手権には出場できなかった。

高校卒業後、沖縄国際大学商経学部に入学。
大学時代はスーパーのレジ、レンタルショップなど様々なアルバイトを経験しながらサッカーを続けた。

大学卒業後、沖縄県出身者初のJリーガーとして名古屋グランパスエイトへ入団する。

石川研のJリーグ入り後

1992年に名古屋グランパスエイトに入団するも、ディド・ハーフナー伊藤裕二が起用されたため、入団3年間は出場機会がなかった。

1994年は、右ひざじん帯を痛め、8ヶ月間リハビリに費やすことになった。

1995年9月13日、NICOSシリーズ第9節セレッソ大阪戦でJリーグ初出場。第26節ジュビロ磐田戦にも出場し、このシーズンは2試合に出場するがいずれも敗れている。

1996年は開幕戦から伊藤裕二のサブとしてベンチ入りを続けるも、リーグ戦は1試合の出場に留まり、このシーズン限りで名古屋を退団。

1997年、JFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に移籍。
正GKの座を元日本代表の松永成立、元浦和レッズの高橋範夫、元鹿島アントラーズの千葉修と争うことになったが、石川は30試合中15試合に出場した。

1998年もブランメル仙台と契約し、シーズンを通して正GKとして出場した。

1999年、ブランメル仙台はベガルタ仙台に改称しJ2リーグに参戦。
3月14日、仙台にとって記念すべきJリーグ初試合となった開幕戦のモンテディオ山形戦で先発出場したが、試合は2-3で敗れた。
その後も、高橋範夫と正GKの座を争ったが、このシーズンは24試合に出場した。

2000年は、高橋範夫が起用されたため、石川は6試合に出場に留まり4年間在籍した仙台を退団した。

2001年はJ2の水戸ホーリーホックへ移籍。
本間幸司と正GKの座を争うことになったが、2001年は15試合、2002年は17試合に出場した。

2003年、イビチャ・オシムが監督に就任したJ1のジェフ千葉へ移籍。
櫛野亮のサブとしてベンチ入りを続けるも、出場機会はなく、このシーズン限りで現役を引退した。

石川研の引退後と現在

石川は引退後、指導者に転身。
ジェフ千葉、名古屋グランパス、アビスパ福岡でGKコーチを務めた。

2017年から沖縄へ戻り、学校法人KBC学園の未来高等学校サッカー部監督を務めた。

2022年からはFC琉球のGKコーチと、新たに発足したFC琉球高等学院サッカー部の監督を務めている。

沖縄県初のJリーガーでS級コーチライセンスを取得する石川研。

沖縄を盛り上げるためにも、石川に対する県民の期待はとても大きい。

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