平野孝の左足から繰り広げられる強烈なシュートは驚異でしかなかった。
左サイドを力強く突き進む縦への突破。
縦を警戒されれば、平野孝はアウトサイドで切り返して中央へ切り込んでいく。
フリーキックの名手と呼ばれた選手は数多くJリーグに在籍したが、その多くは、カーブをかけてゴールまで美しい放物線を描いた。
しかし平野孝の蹴るボールは強力で、勢いよく、一直線にゴールへと吸い込まれていく。
当時の名古屋グランパスの監督アーセン・ヴェンゲル氏から絶大な信頼を得ていた平野孝に迫る。
平野孝のプロ入り前と名古屋での活躍
小学校の時からサッカーに打ち込み、飯田中学校を経て清水商業高校に進学。
清水商業の2学年上には名波浩が、1学年下には共にフランスワールドカップで戦った川口能活がいた。
高校を卒業後の1993年、名古屋グランパスエイトに加入。
加入1年目から左サイドハーフでのレギュラーを獲得。
1年目はリーグ戦19試合に出場し4得点を挙げる。
名古屋グランパスの成績は低迷したが、その中でも平野は存在感を示した。
アーセン・ヴェンゲル氏が監督に就任した1995年からはストイコビッチや小倉隆史と絶妙なコンビネーションを見せ、名古屋の躍進に貢献する。
名古屋は1995年、年間総合3位(32勝20敗)の成績を収め、第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会で優勝。
平野自身も50試合に出場し9得点を挙げ、知名度も一気に上がった。
1996年にはU-23日本代表に選出。チュニジア戦でデビューするも、アトランタオリンピック日本代表の23人には登録されなかった。
その後、1997年には加茂周監督率いる日本代表に選出。
貴重な左のアタッカーとして期待され、フランスワールドカップのメンバーにも選出。
背番号22をつけた平野は初戦のアルゼンチン戦と三戦目のジャマイカ戦に途中出場を果たした。
残念ながらグループリーグ敗退となってしまったが、平野はこの時の経験が自身のその後のサッカー人生に大きな影響を与えたと、後年語っている。
「ワールドカップ前後では、サッカーに対する考え方が変わりました。実際の公式戦で、最高の舞台で、明らかにレベルの違う選手たちと一戦を交えたことで、サッカーに対する追求心や、探究心が大きく変わったと思います。自分はやっぱり甘い。自分の考え方だと甘いって思い知らされましたから。」
平野はワールドカップ後も名古屋の主軸として活躍するも、2000年シーズン途中にチームの主力メンバーの望月重良、大岩剛とともに「慢性的なプレーなどでチームの秩序を乱した」として突然解雇されてしまう。
平野は出場機会を求めて京都サンガへの移籍を決意する。
平野孝の名古屋退団後、7チームを渡り歩く
平野は2000年に京都パープルサンガ(現京都サンガ)に移籍するも7試合の出場に留まった。
その後、2001にはジュビロ磐田に加入するも3試合の出場に留まる。
その後、2002年にはヴィッセル神戸、2003年には東京ヴェルディでプレーをすることになる。
平野は年齢を重ね、チームが変わるたびに自身のサッカースタイルを順応させていく。
左サイドハーフにこだわらず、求められればボランチや左サイドバックでもプレーをした。
2006年にはマリノス、2007年には大宮アルディージャでプレーをし、大宮では史上9人目となるJリーグ通算350試合出場を達成した。
2008年からは活躍の場を海外に移す。
平野はMLSの実質的な下部リーグになっているUSLのバンクーバー・ホワイトキャップス へ入団。加入初年度はリーグ年間ベストイレブンに選ばれる活躍をし、チームのUSL1部リーグ優勝に貢献した。
2009年もバンクーバーの主力選手として活躍し、チーム内の最優秀DF賞を獲得。
バンクーバーでは2010年までプレーをし、平野はこの年を限りに現役引退を発表。
18年にも及ぶサッカー選手生活にピリオドを打った。
36歳での引退だった。
平野孝の引退後と現在
平野は引退後、国内外を渡り歩いた経験を活かし、サッカー解説者として活躍。
2018年からはヴィッセル神戸のスカウト部長に就任した。
2022年3月21日には、三浦淳寛の退任に伴い、スカウティング業務へ配置転換された
平野は後年、8つのチームを渡り歩いた経験をこのように語っている。
「いろんなチームを経験できたことは自分にとって財産になりました。
一番の財産はいろんな選手、いろんなサッカー関係者と出会えたことです。それだけでも相当なメリットになりました。名古屋だけだったら名古屋に関わる人だけしか人間関係を築けなかったと思いますが、移籍した京都から始まって、磐田、神戸、東京V、横浜FM、大宮、最後はカナダのバンクーバーですから。全部で8チームなんですけど、その間、人間関係やコミュニティが爆発的に広がりました。」
平野の18年の現役生活で得た経験は今後多くのJリーガーが参考にすることであろう。