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江口倫司の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第479回】

高い身体能力と優れた得点感覚を持ったストライカー江口倫司。

大学を休学して入団したヴィッセル神戸では永島昭浩との2トップで活躍。

アビスパ福岡では2002年にチーム得点王となる10ゴールをマークした。

26歳で現役を引退後はヴィッセル神戸下部組織のコーチとして活躍を続けている。

江口倫司のJリーグ入り前


江口は1977年に兵庫県に生まれた。

甲東小学校に入学後にサッカーを始め、西宮少年サッカークラブに入団してサッカーを学んだ。

西宮市立甲陵中学校サッカー部で活躍後、関西学院高等部へ進んだ。
高校時代は選手権への出場などの全国大会への出場は叶わなかった。

高校卒業後、関西学院大学へ進学しサッカー部に所属するも、当時JFLのヴィッセル神戸からオファーを受ける。

大学2年次に大学を休学し、ヴィッセル神戸へ入団した。

江口倫司のJリーグ入り前

入団2年目の1997年、ヴィッセル神戸はJリーグに昇格。
同年5月10日1stステージ第8節ヴェルディ川崎戦でベンチ入りを果たすと、後半14分に吉村光示と交代でJリーグデビューを果たした。
8月16日2ndステージ第5節ジュビロ磐田戦で後半25分に内藤潤と交代でピッチに入るとJリーグ初ゴールをマークした。
第10節京都パープルサンガ戦では元日本代表の永島昭浩と2トップを組み2得点を奪い、勝利に貢献。
この年はリーグ戦13試合に出場し4ゴールを決めた。

1998年はFWだけでなく攻撃的MFとしてもプレー。
途中出場が多かったが、コンスタントに出場機会を得る。
リーグ戦22試合に出場しゴールは奪えなかったが、豊富な運動量を生かしたプレーで攻撃のアクセントとなった。

1999年、川勝良一が監督に就任すると出場機会が激減。
リーグ戦1試合の出場に留まり、この年限りで神戸を退団した。

2000年は監督に就任したネストール・オマール・ピッコリの希望によりアビスパ福岡に入団。
シーズン序盤はアルゼンチン人FWモントージャの控えに回るも、シーズン中盤からスタメンに定着する。
ナビスコカップの湘南ベルマーレ戦では貴重な勝ち越しゴールを決め、勝利に貢献。

2001年、アビスパは勝ちきれない試合が続く。呂比須ワグナー盧廷潤など実績のある選手を獲得するも勝ち点の取りこぼしが響く。
江口自身もシーズンを通してゴールを奪えない試合が続く。
第14節清水エスパルス戦で2ゴール、第15節ガンバ大阪戦でもゴールを決めるも勝利には貢献出来ず、降格を防ぐことは出来なかった。

2002年もアビスパに残留。
シーズン序盤は出場機会が少なかったが、夏以降にレギュラーに定着。
第20節セレッソ大阪戦では自身初となるハットトリックを記録した。
この年はリーグ戦30試合に出場し、チーム得点王となる10ゴールをマークした。
天皇杯では呂比須ワグナーの引退試合となった天皇杯2回戦の栃木SC戦で芸術的なボレーシュートを決め、引退に花を添えた。

飛躍の期待された2003年だったが、出場は5試合に留まりこの年限りで現役を引退することになった。

江口倫司の引退後と現在

江口は引退後、休学していた関西学院大学へ復学。

2004年からはヴィッセル神戸のスクールコーチに就任した。

現在はA級ライセンスを取得しヴィッセル神戸のスクールダイレクターとして活躍している。

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