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有馬賢二の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第263回】

有馬賢二は身長178センチと大柄ではないが、利き足は頭と言われるほどヘディングが強いFWだ。

ゴール前では身体を投げ打って果敢に飛び込むプレースタイルで1999年から所属した横浜FCでは3シーズン連続で二桁得点を記録。

2000年にはリーグ戦22試合で24ゴールを決め、得点王、MVP、ベストイレブンとJFLの個人タイトルを獲得。横浜FCのJリーグ昇格の立役者となった。

有馬賢二のJリーグ入り前

有馬は1972年神奈川県横浜市に生まれる。

6歳の時に2歳上の兄の影響でFC本郷でサッカーを始めた。

幼い頃から足が速く負けず嫌いであり小学生の頃から点取り屋のFWととして活躍。

中学時代は全日空横浜SCジュニアユースを経て Y.S.C.C.ジュニアユースへ所属しサッカーを学んだ。

日本大学藤沢高校へ進学。3年時に出場したインターハイではベスト8に進出。

高校卒業後、日本大学入学。同期に浦和レッズなどで活躍した岡野雅行がいる。有馬は1年時より全日本大学選抜に選出されるなど活躍を見せた。

大学卒業後、1995年にJ1・柏レイソルに入団する。

有馬賢二のJリーグ入り後

有馬はレイソル入団後に行われたメディカルチェックで先天的な頸椎障害が発覚する。長期離脱を余儀なくされ一時は選手生命も危ぶまれたが懸命なリハビリの結果、復帰を果たす。

1995年10月21日2ndステージ第18節横浜マリノス戦でJリーグデビュー。ルーキーイヤーは主にスーパーサブとしてリーグ戦7試合に出場した。

1996年5月1日第11節京都パープルサンガ戦でJリーグ初ゴールをマーク。しかしプロ2年目のシーズンもリーグ戦8試合、3年目は5試合と出場機会に恵まれずこの年限りでレイソルを退団。

1998年にコンサドーレ札幌へ加藤竜二とともに加入。セレッソ大阪から加入した深川友貴と梶野智、ガンバ大阪から加入した木山隆之とチームを支えるもコンサドーレは成績が低迷。年間順位14位に終わる。

コンサドーレは翌年開設されるJリーグ2部制の参加チーム決定の為にJリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に参加するが連敗を喫しJ2降格となった。有馬はこの年限りでコンサドーレを退団する。

1999年にはこの年JFL入りした横浜FCへ移籍。

リトバルスキー監督の元で、有馬は持ち前の俊足と「利き足は頭」と評されるヘディングの強さでゴールを量産。同年はリーグ2位の19得点、2000年は24得点を挙げ得点王を獲得。有馬はJFL最高殊勲選手、2年連続ベストイレブンも受賞。格の違いを見せ、エースストライカーとしてチームのリーグ優勝とJ2参入に大きく貢献した。

2001年はJ2でリーグ戦42試合に出場し10ゴールをマーク。横浜FCは12チーム中9位の成績となったがベテランとしてチームを牽引した。

2002年も主力としてリーグ戦25試合に出場するも得点か伸びず2ゴールに終わる。横浜FCも年間順位最下位に沈み、有馬はこの年限りで現役を引退した。

有馬賢二の引退後と現在

有馬は現役引退後、2003年よりFC東京に加入し、主に下部組織でコーチを務めた。その後トップチームコーチに就任し。

2014年からはY.S.C.C.横浜の監督に就任しナショナルトレセンコーチ、U15日本代表監督、U17日本代表監督を経て2019年からはJ2ファジアーノ岡山の監督を務めている。

ファジアーノ岡山は2016年にJ2で6位につけながらもその後は13位、15位と実力はありながらも上位に進出する事が出来ないでいる。

現役時代は貪欲にゴールを決めてきたストライカーだった有馬賢二が岡山にどのような変革をもたらすのか期待が集まる。

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