多彩な得点パターンを持ち、実に7つのJクラブでプレーをしたマルキーニョス。
身長174センチと、FWとしては大きくないが、スピード、パワー、テクニックを高いレベルで兼ね揃え、万能型のストライカーとして、コンスタントに結果を残し続けた。
2007年から所属した鹿島アントラーズでは、4シーズンの間、常にチームの得点王であり続け、鹿島のJリーグ3連覇に大きく貢献。2008年には、21得点をあげて、MVP、得点王、ベストイレブンに輝いた。
マルキーニョスの強みは得点能力だけではない。FWながら、ファーストディフェンスとしても非常に優秀であり、チームの勝利のために献身的にピッチを走り続けた。
彼は、Jリーク歴代最多得点記録を保持する外国人選手であり、Jリーグ史上最高の助っ人外国人選手と呼ぶ声も多い。
マルキーニョスのJリーグ入り前
マルキーニョスは、1976年にブラジルのリオブリリャンテに生まれた。
8歳の時にサッカーを始める。少年時代は、ストリートサッカーに没頭し、テクニックを磨いた。
12歳の時に地元のクラブに入り、18歳でパラナ州のオベラリオと契約を結ぶ。
オベラリオで数年間プレーした後。1999年、22歳でコリチーバへ移籍。
コリチーバでは、後に横浜FCの指揮官となるジュリオ・レアル監督の元でプレーし、レギュラーとして活躍。後にJリーグでプレーをするデジマールや、エジミウソンとともにプレーをした。
2001年7月、1stステージ最下位と不振に陥っていた東京ヴェルディからオファーを受け、入団する。
マルキーニョスのJリーグ入り後
マルキーニョスは、2001年8月11日の2ndステージ第1節ジェフ千葉戦で、途中出場からJリーグデビューを飾る。
第3節の名古屋グランパス戦で、Jリーグ初ゴールをマーク。加入当初は、武田修宏、小倉隆史、前園真聖などとコンビを組んでいたが、ヴェルディは、結果が出ずに、降格への黄信号が点灯する。追い詰められたヴェルディは、ブラジル代表のエジムンドを獲得した。
マルキーニョスは、エジムンドとコンビを組み、得点を量産。この二人で2ndステージで、チームが挙げた22得点の内14得点を叩き出し、J1残留に大きく貢献した。
2003年からは横浜Fマリノスへ移籍。
久保竜彦と2トップを形成し、破壊力のある攻撃を見せた、リーグ優勝に貢献するも1シーズンでマリノスを退団。
2004年は、ジェフユナイテッド千葉へ移籍。
ジェフでは、オシム監督の元、サンドロ・カルドソや巻誠一郎と2トップを組み、コンスタントに得点を稼ぐ。チームの為に献身的にプレーをするマルキーニョスのプレースタイルが、オシム監督の求めるサッカーとフィットしたこともあり、ジェフは2ndステージ2位と躍進した。しかし、9月の柏レイソル戦で靭帯断裂の大怪我を負ったマルキーニョスは、この年を持ってジェフを退団する。
しばらく無所属の状態が続いていたが、2005年8月に清水エスパルスからオファーを受けて入団。清水では、チョ・ジェジンや、北嶋秀朗と2トップを形成し、途中加入ながら14試合で9ゴールをマークし、非常に高い順応性を見せた。
2007年、鹿島アントラーズに入団。
鹿島では、オリヴェイラ監督の元で、常勝軍団の得点源として君臨。興梠慎三や田代有三と2トップを組み、攻撃を牽引した。
2008年には、21ゴールを決め、自身初となる得点王、ベストイレブンを獲得。鹿島はリーグ連覇を果たし、マルキーニョスにとって最高のシーズンとなった。
鹿島では2010年までの4シーズンプレーし、2011年にベガルタ仙台へ移籍。
しかし東日本大震災により、精神的なショックを受け、加入早々に退団。ブラジルへ帰国し、アトレチコミネイロと契約を結んだ。
2012年に横浜Fマリノスへ加入。実に9年ぶりとなる古巣への復帰だった。
マリノスでは、裏への抜け出しを得意とする大黒将志と2トップを形成。中村俊輔とも息の合ったプレーを見せ、2年連続で二桁得点をマークした。
2014年はヴィッセル神戸へ移籍。外国籍選手初のJ1リーグ戦300試合出場を達成するなど、順調にキャリアを重ねていたが、2015年にネルシーニョ監督と対立。そのまま退団することになった。
シーズンを待たずに帰国する事となったが、関西国際空港には別れを惜しむサポーターから見送りを受けた。マルキーニョスは「こういうかたちで神戸を去りたくなかった。申し訳ない」と謝罪し、その後の日本での復帰に向けても前向きな発言をしたが、実現はしなかった。
2016年1月、ヴィッセル神戸から公式に退団がリリースされ、現役を引退した。
マルキーニョスの引退後と現在
マルキーニョスは、現在、故郷で牧場を経営する傍ら、フットバレーの選手として活躍している。
マルキーニョスがJリーグで奪ったゴール数は152。カップ戦や天皇杯を入れると189ゴールに及ぶ。これは説明の必要のない偉大な記録だ。
私は、マルキーニョスの現役当時、彼を批判するような記事を見たことがない。
彼は、リーグトップレベルの実力がありながら、どのチームにおいても、毎日のように若手選手や、控えの選手とともに居残り練習をしていた。来る日も来る日も、来るべきチャンスに向けて、何度もシュート練習を重ねていたのだ。
マルキーニョスに、万能型のストライカーとしての、天性の得点感覚が備わっていたのは間違いない。しかし、そういった真摯な姿勢が、シーンを選ばずに決められる、いくつものゴールパターンを生み出し、結果として、彼の偉大な成績に繋がったのではないだろうかと思う。
マルキーニョスのような、「サムライ・ストライカー」と呼ばれるような選手が、今後のJリーグに出てくることを期待したい。