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森下申一の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【285回】

ジュビロ磐田や京都パープルサンガの初代守護神として活躍した森下申一。

1983年にJリーグの前身である日本サッカーリーグでデビュー後、僅か2年後には日本代表に選出。国際Aマッチ28試合でゴールマウスを守った。

冷静な判断力と安定したセービング能力は群を抜いており、1987年には日本年間最優秀選手賞を受賞するなど日本を代表するGKとして活躍。

長年在籍したヤマハ(現ジュビロ磐田)や1990年の日本代表では主将を務めるなどリーダーシップを発揮した。

森下申一のJリーグ入り前


森下は1960年に静岡県静岡市に生まれた。

小学校の時にサッカーを始め安東中学校を卒業後、静岡学園高等学校へ進学。

静岡学園では1年時からレギュラーとして活躍し全国高校サッカー選手権に出場。決勝では浦和南高校と激闘を繰り広げるも4-5で敗れ、準優勝となった。

高校卒業後、東京農業大学へ進学、同学年には杉山誠がいた。東京農大卒業後にヤマハ発動機サッカー部(現ジュビロ磐田)へ加入。

ヤマハでは入団1年目からレギュラーとして活躍。リーグ戦14試合に出場する。

2年目の1984年は正GKとしてリーグ最少失点に抑え、ヤマハの年間順位3位に貢献。森下は新人GK特別賞を受賞。1985年には日本代表に選出されワールドカップメキシコ大会のアジア予選に参加した。

1987年はリーグ戦22試合全試合に出場し失点は僅か10に抑え、ヤマハのリーグ優勝に貢献。森下は年間最優秀選手賞、ベストGK賞、ベストイレブンを受賞している。日本代表としても同年のソウルオリンピック最終予選進出に貢献した。

その後、松永成立と日本代表正GK争いを繰り広げる。1989年にはアウェーで日本対ブラジル戦に先発出場。善戦するも0-1で敗れている。この時、森下からゴールを奪ったのは後にヴェルディ川崎や鹿島アントラーズで活躍するビスマルクであった。

1990年には日本代表キャプテンを任され、アジアカップに出場した。

1994年、ヤマハ発動機はジュビロ磐田としてJリーグに参入。森下は初代ジュビロ磐田キャプテンに就任した。

森下申一のJリーグ入り後

森下は1994年3月12日1stステージ開幕戦の鹿島アントラーズ戦でJリーグ初出場を飾る。

1stステージは出場停止を覗いた全試合でゴールマウスを守った。2ndステージも中盤までは守護神として活躍するも第13節ヴェルディ川崎戦で途中交代。以降、尾﨑勇史にレギュラーを明け渡した。この年をもってジュビロ磐田を退団。

1995年にはJFLの京都パープルサンガに移籍。経験豊富なベテランとしてチームを牽引し、京都のJリーグ昇格に貢献。森下はベストイレブンを受賞した。

Jリーグに昇格後も2シーズンに渡り活躍。1997年シーズンを持って現役を引退した。

森下申一の引退後と現在

森下申一は引退後、1998年に京都パープルサンガのGKコーチに就任。その後、1999年から7年間、ジュビロ磐田のGKコーチを務めた。 その後、栃木SCやガンバ大阪のGKコーチを経て2019年よりFC東京のGKコーチを務めた。

森下はGKコーチとして京都では松永成立、磐田では川口能活を、ガンバ大阪では東口順昭を指導している。そして現在所属するFC東京には林彰洋がいる。

林はオシム監督時代に日本代表に選出され、その後もザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチからも召集を受けるが代表戦出場の経験はない。

2019年、FC東京は林の安定した守備もあって好調をキープしている。元日本代表守護神の森下のコーチングの元、日本代表に返り咲くことが出来るか楽しみだ。

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