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大嶽直人の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第81回】

DFのポジションならどこでもこなせるユーティリティ性が持ち味の大嶽直人。

的確な指示でDFラインを整え、安定したカバーリングを見せる大嶽は横浜フリューゲルスや京都パープルサンガでDFの要として活躍し、日本代表としてドーハの悲劇も経験した。

1993年の横浜フリューゲルスの天皇杯制覇にもレギュラーとして大きく貢献した。

大嶽直人に迫る。

大嶽直人のプロ入り前


大嶽は1968年に静岡県静岡市清水区に生まれた。

幼少期からサッカーを始め、多くのプロ選手を輩出した清水FCで基礎を学ぶ。

高校は東海大学第一高校(現東海大学付属静岡翔洋高校)へ進学。

高校3年時には第65回全国高校サッカー選手権に出場。

大嶽はキャプテンとしてチームを牽引し、決勝では自身の得点で2点目を挙げ、国見高校を2-0で下し、全国制覇に貢献した。

この時の東海大学第一高校は澤登正朗、三渡州アデミール、吉田康弘内藤直樹がおり圧倒的な力を持っていた。

大嶽は高校卒業後、順天堂大学へ進学。

順天堂大学ではインカレで3連覇(1987、1988、1989)、総理大臣杯優勝3回(1987、1989、1990)、関東大学リーグ優勝1回(1990)に貢献する。

順天堂大学時代は2つ上に石井正忠、1つ上に真田雅則、2つ下には小村徳男森山泰行などがおりここでも大嶽は高いレベルでサッカーに取り組むことが出来た。

大嶽は大学を卒業後、日本サッカーリーグ1部の全日本サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)へ加入。

初年度はリーグ戦1試合の出場に留まったものの、2年目にはレギュラーに昇格。リーグ戦21試合に出場した。

1992年、全日空は横浜フリューゲルスとしてJリーグに参入。大嶽もJリーガーとなった。

大嶽直人のプロ入り後

1993年、Jリーグが開幕すると大嶽は加茂周監督が掲げだ戦術「ゾーンプレス」の中心人物として岩井厚裕薩川了洋などと強固なDFラインを形成。

1993年の天皇杯は決勝で鹿島アントラーズを下し天皇杯制覇に貢献した。

1994年には日本代表に選出され、オーストラリア戦にて代表デビューを果たす。1994 FIFAワールドカップ・アジア予選にも参加し、ドーハの悲劇もベンチから見守った。

代表にはその後召集はかからず、オーストラリア戦が最初で最後の代表戦となった。

フリューゲルスではその後も中心メンバーとして活躍するも、1998年には京都パープルサンガへ移籍。

背番号4を背負い、DFリーダーとして後方でチームを支えながらも、京都パープルサンガのJリーグ通算100ゴール目を決めるなど活躍した。

京都には2001年まで在籍し、元日本代表GK松永成立岩本輝雄森保一、遠藤保仁や三浦知良らと共にプレーをした。

そして2001年シーズン終了後、日本サッカーリーグから数えて12年のプロ生活に終止符を打った。

大嶽直人の引退後と現在

大嶽は引退後、京都パープルサンガのコーチを2002年から2007年まで務めた。

その後は大学指導者、ギラヴァンツ北九州コーチ、京都サンガヘッドコーチを務め、現在は日本女子サッカーリーグの伊賀フットボールクラブくノ一で監督を務めた。

2022年からは鹿児島ユナイテッドFCの監督に就任している。

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