ジュビロ磐田時代に、オフト監督からその高いユーティリティ性と守備能力から「ジャーマン・シェパードと呼びたい」と絶賛された犬塚友輔。
ジュビロ磐田ではGKとFW以外の全てのポジションを経験したオールマイティであり、特に守備では1対1の強さに絶対的な強さを誇った。
2013-2014年シーズンには日本人としては珍しくイタリアでのプレーも経験している。
犬塚友輔のJリーグ入り前
5歳でサッカーを始め、小学校時リベロFCに入団。ライフル射撃で五輪に出場した森栄太らとともにプレー。
丸塚中学校卒業後、ジュビロ磐田ユースに所属。同期には太田吉彰がいた。
高校卒業後、トップ昇格は果たせず静岡産業大学へ入学。ボランチや1.5列目を主戦場としながらも、その身体能力の高さを買われ大学3年以降はFWとしてプレーすることが多かった。
フィジカルを生かした突破力を武器に、東海大学リーグ3連覇、インカレ3位に貢献した。
2006年、ジュビロ磐田を含むJリーグの数チームからのオファーを受けたが、本人が夢だったという磐田とプロ契約を締結した。
犬塚友輔のJリーグ入り後
磐田入団後、プロ1年目の8月12日鹿島アントラーズ戦でJリーグ初出場。以降、アジウソン監督から重用されるようになり、入団半年で右サイドバックとして出場機会を増やし、レギュラーに定着。
しかし次第に守備でのミスが目立つようになり、加賀にポジションを奪われる形となった。2008年シーズン終盤にはボランチとして多く起用された。
2009年から就任した柳下正明監督の評価は得られず大きく出場機会を減らし翌シーズンは出場試合0、ベンチ入り4試合のみであった。これにより契約非更新との通告を受け2010年に退団。
2011年にヴァンフォーレ甲府へ移籍。
甲府では様々なポジションでプレーできるユーティリティ性をかわれるも怪我の影響でリーグ戦5試合の出場に留まる。
2012年にサガン鳥栖へ移籍。
ヤマザキ・ナビスコカップでは、古巣磐田を相手に、キャリア初の1試合2得点を挙げて勝利に貢献。しかしシーズンを通してアキレス腱痛や腰痛など故障に悩まされ、リーグ戦の出場は4試合に留まり戦力外となった。
2013年、セリエD(イタリア5部)のASDリカータ・カルチョへ移籍。
リカータ・カルチョは1931年に創立された歴史あるチームで、シチリア島の都市リカータを本拠地とするクラブ。セリエAのインテルの監督を務めたワルテル・マッツァーリや、マンチェスター・ユナイテッドでのプレー経験を持つマッシモ・タイービが在籍したクラブとして知られている。リカータでは後にFC徳島でプレーする林洋人と共に汗を流した。
2014年、日本に帰国した犬塚はJFLのアスルクラロ沼津へ入団。経験豊富なベテランとしてリーグ戦全試合に出場した。
2015年には四国リーグの高知UトラスターFCへ完全移籍。
2016年には高知Uトラスターとアイゴッソ高知高知の統合チームである高知ユナイテッドSCでプレー。副キャプテンに就任し1シーズンプレー。
2017年1月、FC徳島セレステ(現・FC徳島)に移籍。
2018年に現役を引退した。
犬塚友輔の引退後と現在
犬塚友輔は引退後、2019年からFC徳島の監督に就任。シーズン途中で退任し現在はFC徳島の事業推進リーダーに就任している。
犬塚が勤務するFC徳島は四国リーグに在籍しており、デフリンピック日本代表の西大輔やカンボジア1部リーグでプレー経験のある荻野賢次郎らバラエティ豊かな選手達が所属しているチームだ。
地域リーグの選手はほとんど全員が働きながらサッカーをする事になりFC徳島の選手達も例外ではない。
各地域リーグは4月から10月にかけてリーグ戦を戦い、優勝チームが11月に開催される全国地域サッカーチャンピオンズリーグに出場する。リーグ戦の間には、全国社会人サッカー選手権大会の地域予選、各都道府県の天皇杯予選が行われるというハードなスケジュールをこなす。
リーグ戦終了後に全国社会人サッカー選手権が開催され、地域リーグで成績上位だったチームが同大会での成績上位かつJFLへの参入意思を持つ場合には地域チャンピオンズリーグへの参加資格をようやく獲得する事になる。
そして地域チャンピオンズリーグで上位に入ると翌年のJFLに昇格する事が決定するという果てしなく長い挑戦なのである。いくら地域リーグでダントツの優勝を飾ってもチャンピオンズリーグで負ければまた翌年も地域リーグでの長い戦いが待っている。夢半ばでチームが解体、解散してしまうという話も珍しくはない。
FC徳島の活動理念に「100%の力で挑戦し、家族や応援者の方々に応援して頂けるチームになる」という言葉がある。
働きながらサッカーをするという過酷なスケジュールを100%の力で挑戦し結果を出していくという事は容易ではない。選手だけでなくチーム全員が一丸となって同じ目標に高い熱量を持って進んでいかなければならない。
犬塚友輔が事業推進リーダーとなったFC徳島はどう進んでいくのか。熱い挑戦を見届けたい。