FWや攻撃的MF、右のウイングバックなど様々なポジションでプレー出来るユーティリティプレーヤー池田伸康。
豊富な運動能力を武器に創世記の浦和レッズで活躍。その後は川崎フロンターレ、水戸ホーリーホックでプレー。水戸では背番号10を背負いチームを牽引した。
明るい性格で知られ、浦和レッズのムードメーカーとしても活躍。
ゴール後にはビスマルクの眉間を指でつまみひざまずくポーズに対抗して池田はお焼香をするパフォーマンスを披露。マスコミには「自分は仏教なのでお焼香です」と語るなどJリーグを大いに盛り上げた。
池田伸康のJリーグ入り前
池田は1970年に埼玉県浦和市(現 さいたま市)に生まれた。兄は元サッカー選手でありJSLの古河電気工業サッカー部で活躍した池田誠剛。
小さい頃からサッカー池田3兄弟として地元で有名で学校の行き帰りもサッカーボールが片時も傍から離れる事は無かったという。1982年小学6年の時にFC浦和の一員として全日本少年サッカー大会に出場。3位入賞と優秀選手に選出されるなど当時から頭角を現していた。
その後は浦和ルーテル学院中等部へ通学しながら、クラブチームのロクFCでサッカーを学んだ。中学時代にはU15日本代表に選出。
高校はサッカーの強豪である帝京高等学校へ進学。同学年には遠藤昌浩。池田の1学年上には磯貝洋光、本田泰人、飯島寿久、森山泰行などそうそうたるメンバーがいた。日本ユース代表クラスの選手を多数擁していた帝京であったが2年時にはレギュラーを獲得する。1987年度の高校総体ベスト4、高校選手権ベスト8進出を経験する。池田はU17、U18日本代表に選出される。
高校卒業後は実業団には入らず早稲田大学へ進学する。早稲田大学の同期には奥野僚右、1学年下には原田武男がいた。早稲田では大学3年時に全日本大学サッカー選手権で優勝、4年時には準優勝に貢献。この活躍を受け池田はバルセロナオリンピック出場を目指すU23日本代表に選出された。
この活躍を受け、池田は大学卒業後の1993年に浦和レッドダイヤモンズへ入団する。
池田伸康のJリーグ入り後
池田は入団後、オスバルド・サルバドル・エスクデロの後継者としてすぐにトップチームに定着。
1993年5月19日1stステージ第2節名古屋グランパス戦で望月聡に代わりJリーグ初出場。この年はリーグ戦12試合に出場。 1994年4月16日1stステージ第10節鹿島アントラーズ戦でルンメニゲに代わり後半からピッチに入ると終了間際にJリーグ初ゴールを記録した。この年はスタメン出場する機会も増えリーグ戦27試合に出場し3ゴールを記録している。5月18日の第17節横浜フリューゲルス戦では後半に得点をマークするとヴェルディ川崎のビスマルクに対抗してお焼香パフォーマンスを披露。サポーターを盛り上げた。
その後も豊富な運動能力を武器にコンスタントに出場を続けるも1997年以降は怪我に悩まされ出場機会が減り控えに回ることが多くなった。1999年1stステージ第12節ジュビロ磐田戦で控えとして出場していた開始59分、石井俊也と交代でピッチに入ると63分に小野伸二のアシストでゴールを決めた。これが浦和での最後のゴールとなりこの年限りで浦和を戦力外になった。
その後出場機会を求めて2000年川崎フロンターレへ移籍。
フロンターレでは2ndステージから出場の機会を得たが出場した試合は何れも後半からの途中出場であった。怪我もありレギュラーに定着できなかった池田は1シーズンでフロンターレを退団。
2001年に水戸ホーリーホックへ入団。
水戸ではエースナンバーの10を背負う。移籍加入年はシーズン前半1勝しか挙げられず最下位争いをする苦しいシーズンとなったが共に加入した木澤正徳と若いチームを気持ちで牽引。最終的には再開を脱出し11位でシーズンを終えた。2002年もリーグ戦21試合に出場し献身的な動きで中盤を動き回る。得点こそなかったがボールの預けどころとして貴重な存在となった。 2002年シーズンをもって現役を引退した。
池田伸康の引退後と現在
池田伸康は引退後、古巣の浦和レッズの下部組織の指導者へ就任。
ジュニアユース監督やトップチームコーチを経て2019年よりユースチームの監督に就任している。持ち前の明るさで選手たちのモチベーションを支えてきた池田は技術だけではなく精神的な部分でも選手たちの成長のサポートをしている。
池田はユース監督という肩書がありながらも子供たちと同じ目線で正面からぶつかっている。一度ピッチを出れば、好きな女の子の話もするしプロレスごっこもする。けれどピッチに入れば真剣にサッカーを教える。コーチとしてではなく人間として、子供一人一人に真剣に向き合っている。
現在、浦和レッズやJリーグでは池田が下部組織に指導した選手が多く活躍している。サッカー選手として活躍する為に指導者は存在するが、サッカー選手として生きるよりもその後の人生の方が遥かに長い。またサッカー選手として大成するには精神的な成長が技術と同じくらい重要になってくる。
池田は子供たちを「信じる」ことを大切にしている。ミーティングの内容も集合時間も子供たちに考えさせるようにしているという。子供たちが自発的に行動できるように、責任感をもてる大人になれるように育成している。 自分を信じれない人間は仲間も信じれないし、仲間を信じれない人間は自分も信じれないと私は思う。傷つきたくない、裏切りたくない、傷つけたくない、裏切りたくないという思いが責任感を強くし成長に繋がっていくのだと思う。
信じるという言葉は重いし深い。大人になった私も「信じる」という言葉の意味に悩み苦しむときもある。だが信じないと何も始まらないのは事実だ。池田伸康は心の成長とともに未来の浦和レッズの選手達を育成していく。