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新村泰彦の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第128回】

創世記のジェフユナイテッド市原を代表するFW、新村泰彦。

スピードのあるドリブル突破と抜群の得点感覚で活躍。

特に1995年は新村泰彦のポジショニングの良さが際立ち、ゴールを量産する。

城彰二とのツートップも威力を発揮し、1stステージの9試合で7得点をあげるなどし、シーズン11得点を記録した。

同年のガンバ大阪戦ではジェフ市原の日本人選手として初となるハットトリックを達成。

ストライカー新村泰彦に迫る。

新村泰彦のプロ入り前

新村は1970年に静岡県沼津市に生まれた。

沼津第五小入学後に、スポーツ少年団に所属しサッカーを始める。

沼津市立第五中学校卒業後は日大三島高校へ進学。サッカー部で活躍するも激戦区の静岡県大会を勝ち上がることは出来ず、全国高校サッカー選手権への出場は叶わなかった。

高校を卒業した新村は国士舘大学へ進学。同期には永井秀樹がいた。

新村は1年時からレギュラーとして活躍すると、大学3年時には関東リーグ得点王となり、ベストイレブンに選出され国士舘大学の関東リーグ優勝に貢献した。

大学4年時にもベストイレブンに選出されるなど関東の大学を代表するストライカーとなった新村へ、得点力不足に悩むJR古河(現ジェフ千葉)が接触。

ストライカーとしての素質を買われ、新村泰彦はジェフに加入することになる。

新村泰彦のプロ入り後

新村は1993年5月16日に行われたJリーグ開幕戦のサンフレッチェ広島戦に先発出場。

FWパベルと2トップを組み、持ち前の運動量と裏へ抜け出すスピードで好機を作るもジェフは1-2で敗れている。

1993年のジェフは元ドイツ代表のリトバルスキーがおり、観客動員数がヴェルディ川崎に次ぐ2位となる程の人気チーム。

その中で新村は大学ナンバーワンFWとして期待を背負ったが、ルーキーイヤーは25試合に出場し2ゴールと寂しい結果に終わった。

1994年は高卒ルーキーの城彰二や元ドイツ代表のオッツェの活躍により出番が激減。シーズンを通して7試合の出場でノーゴールに終わる。

しかし1995年、前年度の得点王となったオッツェが退団し新村にチャンスが訪れる。

1stステージから得点を量産し、9試合で7ゴールという驚異的な数字を残す。

この年、ジェフはシーズンを通して日本人選手が攻撃を牽引し城彰二14点、江尻篤彦13点、新村泰彦11点と3人だけで38ゴールを決めた。

1995年7月18日のガンバ大阪戦では43分、61分、71分と立て続けにゴールを決めハットトリックを達成。

ジェフ市原に所属する日本人選手で初めてハットトリックを達成した。

ジェフ市原に所属する日本人選手のハットトリックは新村泰彦と阿部勇樹(2006年に達成)のみである。

1996年は怪我の影響もあり出場機会が少なくこの年限りでジェフを退団しJFLのコンサドーレ札幌へ入団する。

コンサドーレはパナマ代表のバルデス、ディエゴマラドーナの実弟であるウーゴマラドーナ、後の日本代表となる吉原宏太などJFLとは思えないほど選手層が厚く、新村は14試合に出場したもののノーゴールに終わった。

その後1998年には同じJFLのジャトコサッカー部に移籍。

点取り屋の本領を発揮し、加入1年目に10ゴールをマークすると、3年目には21ゴールを決め得点ランキング2位となる活躍を見せた。

この年、新村はJFLベストイレブンに選出されている。

その後も怪我と戦いながらもベテランFWとしていぶし銀の働きを見せた新村はJFL通算105試合出場、47ゴールを決めた。

2003年シーズンを持って所属するジャトコサッカー部が解散。

2004年に新村はジャトコサッカー部ファン一万人の署名などをバックアップに静岡県東部からJリーグを目指して新しく創設されたクラブ「イースタン04」の監督兼選手に就任するが2005年でチームが解散し、新村も現役を引退した。

新村泰彦の引退後と現在

新村は引退後、2007年からミズノサッカースクールのコーチに就任。

2009年からは清水エスパルスのU12監督を務めている。

残念ながら新村が監督を務めたFCイースタン04は解散してしまったが、全国には将来のJリーグ入りを目指すチームが多く存在している。

Jリーグは地域におけるサッカーを核としたスポーツ文化の確立を目指す計画として「100年構想」を掲げている。

その多くは都道府県リーグから始まり、地域リーグを勝ち抜き、JFL4位以内となり、経営面や施設面でも問題ないかJリーグから審査を受けて承認されれば初めてJ3リーグに参戦できる。

都道府県リーグを勝ち抜けたとしても、地域リーグで1位になり全国地域サッカーチャンピオンズリーグを勝ち抜き、JFLへ昇格するのはとてつもなく狭き門だ。

過酷な日程で試合をこなし、勝ち続けてようやくJFLに昇格できる。

地域リーグまではチケット料金を設定する事も出来ないし、大半の選手が働きながらサッカーをしている為、場合によっては仕事の都合で大切な試合に出場出来ない事もあるだろう。

サポートが不十分であれば、練習場の確保や遠征費用も大きな負担となる。

地域リーグを圧倒的な強さで勝ち上がっても、決勝リーグで敗れればまた来年1からのスタートとなる。選手や監督の離脱があれば、0からのスタートとなってしまうケースもあるだろう。

1日にして天国と地獄が決まる全国地域チャンピオンズリーグ。

現在の日本サッカーにおいてJリーグとはまた違う、過酷な真剣勝負の場が観られる為、観戦した事のない方は是非観てもらいたい。

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