スピードに乗った高速ドリブルや裏への飛び出しで「スピードスター」の異名で知られる小島宏美。
1998年にはリーグ戦34試合に出場して自己最多の17得点を挙げている。
2000年には念願の日本代表に初選出。
持ち前のスピードと攻撃センスで次々と味方を追い越してゴール前に現れ、チャンスを量産した。
晩年はサイドMFやサイドバック、ボランチにコンバートされて新境地を開拓。スピードだけではない事を証明した。
小島宏美のプロ入り前
中泉小学校の時に中泉少年団に所属し、サッカーを学ぶ。
地元の直方第一中学校卒業後、サッカーの強豪である東福岡高校へ進学した。
小島は高校1年の時からレギュラーとして活躍。
同級生の山下芳輝(元アビスパ福岡など)と2トップを形成。
快速FWの小島とシュート力のある山下の1年生コンビは東福岡の大きな武器となった。
全国高校サッカー選手権には3年連続で出場。
3年時に高校サッカー選手権ベスト4を達成した。
小島の一つ下の学年には名古屋グランパスなどで活躍した古賀正紘、二つ下の学年には古賀正紘の弟である古賀誠史や鹿島アントラーズで活躍した本山雅志がいた。
1年生の頃、ボランチでプレーした本山は後に、小島について「ボールを預ければ全部やってくれていた」と語っている。
東福岡高校のエースとして絶対的存在となった小島には多くのスカウトが訪れた。
その中で小島はガンバ大阪への入団を決意する。
小島宏美のプロ入り後
1996年の入団1年目は高卒ルーキーながらリーグ戦9試合出場、1得点を挙げた。
1997年はJリーグ得点王を獲得する事になるパトリック・エムボマや松波正信に次ぐFWの選手として徐々に試合に出場するようになる。
そして1998年、小島はブレイクする。
エムボマの退団、新加入のドロブニャクがフィットせず高卒3年目の小島がレギュラーに抜擢されると、34試合に出場して17得点という自己最高の記録を残しチーム内得点王となる。
またシドニーオリンピックを目指すU23日本代表としても活躍し、高原直泰(元ジュビロ磐田など)や平瀬智行(元鹿島アントラーズなど)と2トップを組んで得点を重ねていった。
小島はルックスの良さもあり同年代の宮本恒靖や中澤佑二とともに明治のCMに出演するなど全国的な知名度を上げていく。
1999年も21試合に出場し6得点を記録するがシドニーオリンピック日本代表には平瀬智行、高原直泰、柳沢敦の3人が選出され小島は選出されなかった。
2000年、同い年でありタイプの似たストライカー、 吉原宏太がガンバに移籍。
しかし小島は第8節のアビスパ福岡戦で、小島は自身初のJリーグでのハットトリックを記録するなど好調。
4月には日本代表に初選出され、4月26日ソウルで行われた韓国代表との試合にて国際Aマッチ初出場を果たした。
このシーズンはガンバ内で唯一の全試合出場と最多の9得点を記録した。
しかし2001年、ニーノブーレや吉原宏太の活躍により小島の出場機会が激減。
17試合に出場し2得点に留まるとシーズン後にコンサドーレ札幌へのレンタル移籍を表明した。
しかしリーグ5試合無得点、ナビスコカップ2試合1得点と目立った活躍は出来ず、シーズン途中にJ2の大宮アルディージャへ移籍。
11試合に出場し3得点を挙げるもシーズン終了後に所属元のガンバ大阪から戦力外通告を受ける。
2003年は大分トリニータと契約を結ぶも試合に出場出来ず6月に契約満了で退団。
その後、ヴィッセル神戸と契約するも怪我もあり全盛期の小島のプレーからは程遠く、シーズン終了後に再度戦力外通告を受けることとなった。
しかし戦力外通告直後の天皇杯で小島は輝きを見せ、FWに負傷者が続出した事もあり再契約を結ぶ。
2004年はハシェック監督によりボランチにコンバートされる。
これがフィットし、小島はレギュラーに定着し、リーグ戦21試合に出場を果たした。
小島は中盤深い位置からのゲームメイクや攻撃参加で活躍し、ヴィッセル神戸の核として躍動した。
2005年は背番号10を背負うも怪我の影響や三浦知良退団により、またもやFWとしてプレーすることになるなどチーム事情も影響し調子は下向き、ヴィッセル神戸はJ2へ降格。
小島も退団することになった。
2006年からは当時東海リーグ1部に所属していたFC岐阜へ移籍。
様々なポジションをこなせるベテランプレーヤーとしてチームを牽引し、岐阜のJFL昇格やJ2リーグ昇格に貢献。
2008年にはFC岐阜のJリーグ初ゴールを挙げるもこのシーズン限りでユニフォームを脱いだ。
小島宏美の引退後と現在
小島は引退後、京都市の企業役員を経て2014年に愛知工業大学名電高等学校サッカー部のコーチに就任。
2016年からは名古屋経済大学サッカー部コーチに就任している。
2019年からはFC Bonbonera GIFU(東海社会人サッカーリーグ2部)にて、選手兼任コーチを担っている。
若い頃はスピードを生かした快速FWとして、晩年はチームの攻守を担うボランチとして活躍した小島宏美。
プロになってからポジションをコンバートされ成功に繋がるケースは決して多くはない。
その中で結果を残し、J通算成績263試合出場55ゴールの成績を残した小島宏美は、抜群のサッカーセンスがあったといっても間違いないだろう。