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小島光顕の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第351回】

守備的なポジションのスペシャリスト、小島光顕。

創世記のサンフレッチェでは主にボランチとして、アビスパ福岡ではDFとしてプレー。

サンフレッチェ広島ではJリーグ開幕戦決勝ゴールを決めたことでも知られる。

アビスパではラインコントロールも任され、DFラインを統一。精神的支柱としてもチームを支えた。

リーグ通算264試合出場するなど、守備のユーティリティプレーヤーは長きにわたってJリーグで活躍した。

小島光顕のJリーグ入り前


小島は1968年に長崎県に生まれた。

小学校でサッカーを始め、高校は長崎の強豪である国見高校へ進学。

国見では1学年上に後にサンフレッチェでともにプレーする高木琢也、同級生に古島清人(ベルマーレ平塚)、其田秀太(横浜フリューゲルス)らがいた。

高校3年次には全国高等学校サッカー選手権大会に出場。

1回戦で市立船橋を5-0で破り、2回戦では盛岡商業を3-1で破るなど、高校屈指の攻撃力で順当に駒を進めた。

準決勝では財前恵一、野田知擁する室蘭大谷に辛くも1-0で勝利するも、決勝では澤登正朗、三渡洲アデミール、大嶽直人内藤直樹吉田康弘らのいる東海大一と対戦。

この試合は、サッカー王国の新鋭・東海大一と、名将・小嶺忠敏監督が率いる国見がともに初出場で決勝で戦うとあって注目を集めた。

試合は激しいシュートの打ち合いとなったが、アデミールに先制点を奪われ、0-2で準優勝となっている。

高校卒業後、東京農業大学へ進学。東京農大の2学年上に神田勝夫(セレッソ大阪)、1学年下に木島敦(コンサドーレ札幌)がいる。

東京農大卒業後、日本サッカーリーグ2部の富士通サッカー部に入団する。

小島光顕のJリーグ入り後

富士通では入団初年度から、守備的MFでレギュラーを掴むとリーグ戦28試合に出場。

翌年も開幕戦からスタメンで起用されると、シーズンを通してフル出場を達成している。

1993年、Jリーグの開幕にあわせてサンフレッチェ広島へ移籍。

開幕戦の1993年5月16日のジェフユナイテッド市原戦では後半途中から出場し、相手のクリアミスを拾い、DFをかわして左足でミドルシュートを決めた。

この得点が決勝点となり、記念すべき開幕戦勝利の立役者となった。

その後のシーズンも守備的MTとして、森保一とともにサンフレッチェの守備を支える。また守備的なポジションではどこでも出来たことから、サイドバックやストッパーとして起用されることもあった。

1999年にはアビスパ福岡へ移籍。

DF能力の高さを評価され、福岡では主にストッパーとして活躍した。

DFリーダーとしてラインコントロールを任された小島は、ベテランらしい安定したプレーでチームを支えた。

福岡では4シーズンに渡ってプレーし、2002年に現役を引退した。

小島光顕の引退後と現在

小島は現役引退後、整体の学校に通い、整体師となる。

また、同時期にサッカースクールを開業。後に神奈川県に整体・リフレクソロジーサロンを開業し、フットサルコート「COZISPO」の運営を行っている。

現在は神奈川県相模原市に、FCアロンドラ相模原というジュニアチームを作り運営を行っている。

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